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浜松の産業と井伊直政を追う

静岡県は、古より日本の東西文化が行き交う分岐点として、各地にさまざまな歴史と文化が育まれています。なかでも浜松市のある県西部(遠州地方)には、“とにかくやってみよう“ “やろうじゃないか”という意味を持つ「やらまいか」という方言があり、チャンレンジ精神を大切にする風土が根づいています。今回は、その「やらまいか精神」で栄えてきた浜松市周辺の歴史と産業の歩みについてご紹介します。

静岡県は、古より日本の東西文化が行き交う分岐点として、各地にさまざまな歴史と文化が育まれています。なかでも浜松市のある県西部(遠州地方)には、“とにかくやってみよう“ “やろうじゃないか”という意味を持つ「やらまいか」という方言があり、チャンレンジ精神を大切にする風土が根づいています。今回は、その「やらまいか精神」で栄えてきた浜松市周辺の歴史と産業の歩みについてご紹介します。

REPORTER

静岡支店 地域事業推進担当平田 雄一

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私の出身地・滋賀県は、浅井長政や石田三成など、数多くの戦国武将を輩出した地であり、小学生の時に読んだ歴史小説の影響で戦国武将に興味を持つようになりました。普段からテレビや映画、小説などで、歴史物を楽しむのはもちろん、休日は城巡りや史跡巡りも楽しんでいます。そんな私が浜松の産業の歩み、井伊家ゆかりの地を訪ね、「やらまいか精神」が根づく浜松の魅力をたっぷりご紹介します。

HIGHLIGHT
AREA

中部支社

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愛知・静岡・岐阜・三重の東海4県を担当エリアとして、「重電システム」「産業メカトロニクス」「情報通信システム」「電子デバイス」「家庭電器」を主に担い中部地域の製造業各社様の"ものづくり"を支えております。

中部支社 地域ビジネス活動

数多の個性的な武将が活躍した、戦国時代。歴史書や小説、映画やテレビなどを通じて、さまざまな人物像、興味深いエピソードが伝えられています。歴史好き、とりわけ戦国武将好きを自負する私にとって、この浜松に生まれた井伊直政は、特に思い入れの強い人物です。井伊直政は彦根藩の初代藩主として滋賀県彦根市の発展の基礎を築いた人であり、彦根城のある滋賀県出身の私としては、とても縁を感じる戦国大名です。そんな井伊直政と井伊家ゆかりの地を訪ねながら、浜松エリアの魅力を歴史と産業という側面からご紹介します。

浜松が生んだ戦国武将・井伊直政(1561~1602年)

1561(永禄4)年、井伊直親を父に浜松の祝田(現・浜松市北区細江町)生まれた。幼名を「虎松」といい、井伊家当主となった直親が今川に殺され、井伊家を継ぐ男児である虎松も命を狙われたことから、過酷な幼少期を過ごす。のちに徳川家康に気に入られて仕官し、徳川家でお家再興を許され、戦や外交で活躍、「徳川四天王」の一人に数えられるまでになった。

浜松の三菱電機!

私が勤務する静岡支店の最寄りの静岡駅から浜松駅までは、新幹線で約20分程。浜松駅の新幹線ホームから改札に向かうエレベーター、エスカレーターは当社の製品が使用されており、日々多くの方にご利用いただいています。

日本初と日本一の宝庫!

静岡県西部に位置し、1,558k㎥という日本の市町村で2番目の面積と80万以上の人口を持つ、浜松市。東に天竜川、西に浜名湖、南に遠州灘、北に赤石山脈と、豊かな自然・温暖な気候に恵まれていることから、海の幸・山の幸が豊富なことで知られています。浜名湖はうなぎ、青のり、アサリ、遠州灘は天然のとらふぐ、シラスなどの魚介類が有名で、全国ブランドとして知られる「三ヶ日みかん」や日本一の産地であるガーベラなど、数多くの特産品があります。
また、浜松はものづくりの盛んな街としても知られ、ヤマハ、スズキ、ホンダ、カワイ、ローランドなど、世界的企業が数多くある一方、高度な技術を持った中小企業やベンチャー企業が多く集まるなど、日本でも有数の産業集積都市となっています。軽自動車、オートバイ、木工機械、ピアノ、電子式テレビ、写真フィルム、国産旅客機、国産アルミホイール、国産丸ノコギリなど、日本で初めて開発された技術・製品がたくさんあります。

スズキ歴史館・SUZUKI PLAZA
遠州人のものづくり気質を知る

「スズキ歴史館・SUZUKI PLAZA」には、1909(明治42)年創業で、1920(大正9)年に鈴木式織機株式会社として設立され、1954(昭和29)年に鈴木自動車工業株式会社、1990(平成2)年にスズキ株式会社に社名を変更したスズキの歴史と現在のクルマづくりが展示されています。
最初に見学したのは、3Fフロアの「ものづくりの歴史」。織機メーカーから自動車産業へ進出したスズキの歩みが紹介されています。創業から約40年に及ぶ織機メーカー時代の歴史を紹介したコーナーには、1930年代に使われていた経糸を整えるための機械「M型部分整経機」が展示されています。これは、経糸の本数や長さを同じ密度と張力によって決められた幅で均等に配列し、ビームに巻き上げるための機械ですが、実は三菱電機製のモーターが使われていました。意外なところで三菱電機との接点を発見し、嬉しくなりました!
この後、スズキは織機産業で培った技術をベースに戦後復興期に自動車産業へ進出、高度経済成長期のマイカー時代の到来とともに、多様化する需要に対応する四輪車、二輪車を次々と生み出していきます。オイルショック期以降、革新的な進化を遂げていく軽自動車、新しい技術としてハイブリッドや燃料電池への挑戦など、常に時代のニーズに応えながら、ものづくりに取り組んできたスズキの姿勢と熱意が伝わってきます。
2Fフロアは、工場の生産の様子を実物大で再現した組立ラインのモデル展示や立体映像でクルマづくりを紹介する「3Dシアター」、企画・デザイン・設計などの開発プロセスの展示など、現在のクルマづくりが紹介されています。さらにフロア奥には「遠州コーナー」があり、遠州地方の歴史・文化・産業、そしてものづくりの偉人紹介、やらまいか精神が育んだものづくりの土壌などが紹介されています。遠州という土地が育んだものづくり気質がスズキにも流れていることを感じました。

本田宗一郎ものづくり伝承館
好きなことを貫く生き方に、感銘

次に向かったのは、「本田宗一郎ものづくり伝承館」。ここは自動車メーカー・本田技研株式会社(ホンダ)の創業者・本田宗一郎氏(1906〜1991年)の偉業と功績を伝える資料館です。戦前の旧二俣町役場(国の登録有形文化財建造物)を改装した建物が、昭和初期の趣を今に残しています。1Fには、磐田郡光明村(現・浜松市天竜区)に生まれた本田宗一郎氏の軌跡を辿る年譜や写真、映像、遺品の数々、そしてホンダの原点ともいえるバイク「スーパーカブ」の初期モデルなどが展示されています。本田宗一郎氏のチャレンジ精神とものづくりに対する情熱に感銘を受け、「好きなことはとことん」という本田宗一郎氏の言葉と、それを貫いた生き方に胸が熱くなりました。

ヤマハ発動機株式会社「コミュニケーションプラザ」
見どころ満載のミュージアム

次に訪れたのは、ヤマハ発動機株式会社の企業ミュージアム「コミュニケーションプラザ」。ここはとても大きな施設で、創業以来60年以上にわたり、バイク、スクーター、自動車エンジンをはじめ、ボート、発電機、電動車椅子、産業用ロボットなど幅広いジャンルの製品を手がけてきたヤマハ発動機グループの企業活動や製品開発の足跡が紹介されています。200点以上に及ぶ製品の展示をはじめ、各種シミュレーターなど、子供から大人まで楽しめるミュージアムとなっており、見どころ満載。特に二輪車の展示コレクションは、歴代のバイクが並ぶ様子が壮観で、見応えがありました。知恵と情熱で人々の夢を実現し、“感動創造企業”をめざす、ヤマハ発動機グループのものづくりに対する意欲が伝わってくる素晴らしいミュージアム体験でした。

静岡製作所(静岡市駿河区)

静岡製作所は1954年に「冷蔵庫」「エアコン」の開発・製造を目的にスタートして以来、日本人のライフスタイルの変化に対応した新製品を次々に生み出してきました。静岡製作所については、家庭用ルームエアコン「霧ヶ峰ムーブアイ」の生産・開発現場に潜入したプロジェクトMEをご覧ください!

プロジェクトME 第2回 静岡県 静岡製作所編

井伊家ゆかりの地を巡る

次に私が向かったのは、井伊家発祥の地・井伊谷(いいのや)。井伊直政をはじめ、井伊直虎が生まれ育った井伊谷の里(現・浜松市北区)、井伊家の菩提寺・龍潭寺(りょうたんじ)など、大河ドラマの舞台ともなった井伊家ゆかりの地を訪ねました。

龍潭寺(りょうたんじ)

臨済宗妙心寺派の龍潭寺は、井伊家40代を祀る菩提寺です。井伊家の墓所、井伊直虎の供養塔、そして国指定の名勝「龍潭寺庭園」など、井伊家ゆかりのお寺として見どころがたくさんあります。

仁王門

本堂正面の仁王門は、昭和62(1987)年に建立された新しい門ですが、威厳のある重厚な構えで、仁王像と高麗犬が寺域を守っています。

井伊家御霊屋

井伊氏の菩提寺である龍潭寺には、井伊家千年四十代の位牌が祀られています。国指定名勝に指定された美しい庭園の奥にひっそりと佇む御霊屋の趣が印象的。井伊家の殿様は書院から美しい庭園越しに御霊屋を眺め、ご先祖様に挨拶したそうですが、とても心が落ち着く場所でした。

井伊家墓所

ぜひお参りをしたかった、井伊直政も眠る井伊家の墓所。この墓所には、直虎の父・直盛や直虎、元許嫁の直親とその妻、そして直政が眠っています。境内で最も高所にあり、ここから見下ろす庭園の景色は、ちょうど紅葉の盛りで、とてもきれいでした。隣の敷地には、井伊家家臣や歴代住職の墓所も設けられています。

徳川四天王井伊直政公出世之地碑

この碑は、2007(平成19)年の彦根城四百年祭の時に建立されたものだそうです。幼少時から逃亡生活を強いられてきた直政は、その過酷な運命を自らの機転と才覚で切り拓き、徳川家への仕官を果たして、数々の武功を挙げ、出世。徳川四天王の筆頭として「井伊の赤鬼」と呼ばれるまでになり、井伊家再興を果たしました。これは、その記念の碑。不遇な環境を乗り越え、自らの手で未来を拓いた、そのたくましい生き方は、私が直政に惹かれるいちばんの理由ですが、そこには、“やろうじゃないか”というこの地の気質「やらまいか精神」が流れているように思います。

井伊谷城跡

井伊家の居城である井伊谷城址は、標高115mの丘陵地にあり、今は城山公園として整備され、展望台になっています。ここが井伊直虎や直政の父・井伊直親が城主を務めた場所だと思うと、高台から臨む井伊谷の里の眺めも、ここに流れる気持ちのいい風も、彼らが生きた過去の時代と地続きだということを実感します。

浜松でものづくりを担ってきたさまざまな企業と産業の歩みを辿り、さらに井伊直政と井伊家ゆかりの地を訪ね、その歴史と生き様に想いを馳せ、この土地に「やらまいか精神」が脈々と受け継がれているのを感じました。私も、まずは挑戦してみようという遠州人の「やらまいか精神」を胸に刻んでビジネスに励み、かつて井伊直政が生きたこの地に貢献していきたいと強く思いました。