Vol.24
ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡—天文観測新時代の到来
百聞は一見に如かず、という言葉を思い出した。
2021年12月に打ち上げられたジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(以下、ウェッブ望遠鏡と呼ぶ)の撮影した宇宙の数枚の画像が、先月7月に公開された。その画像を見たときの僕の感想が、まさにこれであった。
これまで誰も見たことのない鮮明な宇宙の画像は、天文観測の新時代の幕が開けたことをこれ以上なく雄弁に語っているだろう。
ウェッブ宇宙望遠鏡は、口径約6.5メートルの主鏡をもつ宇宙に浮かぶ望遠鏡である。身近なものでいえば、マイクロバスの長さに相当するような大きな鏡が宇宙に打ち上げられているのである。
主鏡はあまりに大きいためロケットに収まらず、小さな六角形の鏡を18枚折りたたんで搭載し、これを打ち上げ後、宇宙空間で正確に展開することで6.5メートルの鏡を作った。
地上でも、6.5メートルを超える主鏡をもつ望遠鏡は数えるほどである。ハワイ・マウナケアの山頂にある国立天文台の「すばる望遠鏡」の口径が8.2メートルであり、日本の所有する現在唯一の6.5メートルを超える望遠鏡である。
宇宙望遠鏡と言えば、ハッブル宇宙望遠鏡が有名であろう。
ハッブル宇宙望遠鏡は、1990年に打ち上げられた口径2.4メートルの望遠鏡である。当初は15年の運用が計画されていたが、打ち上げから30年以上経つ現在でも観測が続けられている。地球の周りを周回しているため、スペースシャトルに乗った宇宙飛行士が故障を修理したり、部品を交換したりして、何とか観測が行われてきた。一方で、スペースシャトルが退役した2011年以降は、修理されていない。
ウェッブ宇宙望遠鏡は、待ち望まれたハッブル宇宙望遠鏡の後継機である。
ウェッブ宇宙望遠鏡の計画自体は、ハッブルの打ち上げ直後の1990年代後半から本格的に立てられ、何度も予算面で存続の危機に遭遇し、打ち上げ延期を重ねに重ねて、ようやく2021年の年末に打ち上げられた。
今回は、このウェッブ宇宙望遠鏡を取り上げて、どんな観測が今後行われるのかお話ししたい。
宇宙最初の星の光
ウェッブ宇宙望遠鏡はいったい何を観測しようというのだろうか。
この望遠鏡が解明しようとする謎は、主に次の4つである。1)宇宙最初の星はいつどのように生まれたのか、2)銀河の巨大な構造はどのように進化していくのか、3)星が生まれようとする場では何が起きているのか、4)太陽系外惑星や太陽系の天体に生命存在の兆候はあるのか、—どれも壮大なテーマである。
僕らの宇宙はおよそ135億年前にビッグバンによって誕生したと言われる。最初は高温の素粒子が飛び交う宇宙だったものが、急激に冷えていくなかで素粒子から水素やヘリウムなどの原子ができる。この時点で宇宙には自ら光を発する天体はなく、暗黒そのものの世界が広がっている。そのなかで、やがて水素やヘリウムが集まった領域でガスの塊りができ、その中心で温度が上がり核融合が始まり、自ら光を発しだす。これが宇宙最初の星である。
宇宙最初の星は、暗黒だった宇宙を初めて照らした光である。
宇宙最初の星は太陽よりもずっと巨大だったと考えられ、したがって星としての寿命もとても短いと考えられている。巨大な星の内部では、効率的に短時間で水素やヘリウムが燃焼し切ってしまうからだ。
この宇宙最初の星は、まだ観測されていない。
宇宙最初の星の光は極めて微弱だと考えられ、必然的にこれを観測しようとすれば、途方もなく高感度な望遠鏡が必要となる。
地上の望遠鏡は、どんなに大きくとも大気のゆらぎや大気成分による光の吸収による影響を避けられない。そのため、かすかな光しか出さない宇宙最初の星を地上望遠鏡で観測することはとても難しい。
一方、宇宙望遠鏡は大気の影響を受けることがない。最大級の口径をもつウェッブ宇宙望遠鏡は、これまで人類がもったどんな望遠鏡よりも高感度であり、宇宙最初の星を観測できるのではないかと期待されている。
宇宙最初の星はいつ生まれて、どのような光を放っていたのだろうか。物理学者にとって、この星の光は宇宙の始まりをひも解くためのデータとなろう。しかし、僕を含めた物理学と縁遠い多くの人達にとっては、この星を見ることはすなわち、この宇宙の「創成記」における世界を最初に照らした光を見ることに他ならない。その画像を見たとき、僕らはいったい何を思うのだろうか。
旧約聖書によると、神は天地創造のはじめに「光あれ」と言ったらしい。ウェッブ宇宙望遠鏡は、宇宙の始まりの光に迫ろうとしている。
銀河の衝突と生命の源
宇宙最初の星の誕生とその死の後にも、第2世代、第3世代の星たちは次々に生まれ、無数の星たちが集まった銀河を形作っていく。銀河の形は様々であり、僕らの天の川銀河のように渦状の腕を持つものもあれば、巨大な楕円をしているものも、あるいは小さな塊状のものもある。このような銀河の多様な姿はどのようにできあがったのかというのが、ウェッブ望遠鏡が挑む第2の謎である。
実は、このような銀河の姿を形作る上で重要だと思われているのが、銀河同士の衝突である。巨大な銀河はその重力でお互いに引かれあって、衝突してしまうことも多い。
実際、天の川銀河の周辺の銀河たちは、どれも70億年以内に複数の銀河との衝突を経験していると考えられている。僕らの天の川銀河にも、120億年前に小さな銀河が衝突していたらしい。その結果、今のような渦状の腕が生まれたのである。
銀河は無数の星の集合である。銀河同士の衝突時には、銀河を構成する星同士が激しくぶつかり合うわけではなく、星々は互いの間をすり抜けて、何度も交差しながら混じり合うと言う方が正しいであろう。天の川銀河の場合、星々が十分に混じり合うまで20億年もかかった。
その銀河同士の衝突の間、天の川銀河では多くの星が死に、またそれ以上に多くの星が新しく生まれたらしい。星の内部の核融合で水素やヘリウムが燃焼し、炭素や酸素、窒素、ケイ素や鉄などが生まれる。星が死ぬ際には、これら核融合の産物も宇宙空間に放出され、次の星が生まれるときの材料になる。僕らの体を作っている炭素や酸素、窒素、この地球を作っているケイ素や鉄も、もとを正せば、天の川銀河にかつて存在していた星たちの内部で作られたものである。そして、今から約40億年後に太陽が死を迎えるとき、太陽内部の元素は再び宇宙空間に放出され次の星の材料となる。宇宙で元素は輪廻しているのである。
銀河同士の衝突が、このような星々の死や誕生を誘発しているのであろうか。ウェッブ宇宙望遠鏡が、銀河衝突の全容を明らかにすることで、地球や僕ら生命を作る元素の起源についても新しい見方が生まれるかもしれない。
中止からの復活を支えた嘆願書
これら以外にも、ウェッブ宇宙望遠鏡は、星がまさに誕生しようとする場を高精度に観測したり、太陽系外惑星の大気成分や、火星やエウロパなども観測したりすることになっている。ウェッブ宇宙望遠鏡が挑む第3、第4の謎に関するこれら観測については、今後、その成果が出るタイミングで、再びこのコラムで取り上げたい。
ウェッブ宇宙望遠鏡が、その圧倒的な性能で天文学新時代の扉を開くであろうことは疑いをはさみにくい。一方、長らく問題とされたことであるが、ウェッブ宇宙望遠鏡の性能を実現するためには巨費が必要であり、その1兆円ともいわれる桁違いの開発運営費用のために、NASA全体の予算がひっ迫し、別の宇宙望遠鏡や探査計画が中止にならざるを得なかったということがある。必要経費は毎年のように増加し続け、計画は延長され、その延長のためさらに予算が必要になるという悪循環に陥っていた。実際、2011年には予算超過と計画のマネジメント不足により、米国下院では中止の一歩手前まで議論が進んだ。
そのときに、アメリカ天文学会は、計画の存続のための嘆願書を発表した。すべてを紹介できないが、そのなかに次のような一節がある。
“ハッブル宇宙望遠鏡のように、多くの一般の人々の気持ちを高ぶらせ、何か我々の既成概念を変え、また数多くの子供たちに科学や技術を志すきっかけになるこの計画を中止にする損失と、中止にしたことにより得られる短期的な予算の回復とその経済効果を天秤にかけたとき、果たしてこれを中止することが本当に最良なのでしょうか”
複数新聞の社説もこれに乗って計画存続を訴えた。その後、議会は計画中止を撤回し、ウェッブ宇宙望遠鏡は打ち上げられた。
一方で、日欧では共同で、ウェッブ宇宙望遠鏡に比肩するはずの宇宙望遠鏡SPICA(スピカ)を計画していた。 2028年の打ち上げを目指していたが、こちらも膨らみすぎた予算や技術的問題で2020年に中止が決まった。SPICAの判断は賢明なのだろうか、あるいはウェッブの判断は本当に正しかったのだろうか。
ともかくも、ウェッブ宇宙望遠鏡は無事に打ちあがった。ハッブル宇宙望遠鏡が打ちあがった1990年とは違い、撮影された鮮明な宇宙の画像は、今ではインターネットを通じて瞬く間に世界中の子供たちにも共有される。
ウェッブ宇宙望遠鏡が目指すのは、この宇宙の創成という根源的な謎であり、人々の自然観や生命観を変革しうるようなテーマといってよいであろう。嘆願書にあるように、これが本当に世界中の子供たちが科学への夢を持ち、未来を希望で膨らませるような望遠鏡になってほしいと願いつつ、僕はウェッブ宇宙望遠鏡の撮った最初の数枚の画像を眺めている。
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