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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

「火星の月の石」を地球に持ち帰れ!世界初への挑戦

「火星には魔物がいる」と囁かれてきた。過去に打ち上げられた世界の火星探査機・着陸機の成功率は約半分。日本が打ち上げた火星探査機も残念ながら失敗。火星の衛星(=月)への探査についてはもっと悲惨だ。過去ロシアが3回挑戦し、一度も成功していない。

この限りなく難しい火星衛星への探査計画をJAXAが4月10日に発表した。しかもただ到達するだけでなく、火星の衛星に着陸し、石や砂を採取し、2029年に地球に持ち帰ろうという「挑戦的」かつ「野心的」ミッションだ。「火星衛星サンプルリターンミッション」、略してMMX。その目的は「太陽系内の水の輸送の謎を解くこと」。胸躍る計画ではありませんか!

JAXAの火星衛星サンプルリターンミッション(MMX)のイメージイラスト(提供:JAXA)

なぜ火星の「衛星」を目指すのか?—火星衛星は水輸送カプセル?

でもなぜ、火星そのものを目指すのではなく、火星の衛星を目指すのか。それはこのミッションの大きな目的が「火星や地球の水がどこから運ばれてきたか」を調べることにあるからだ。火星の水?火星に水なんてないのに、と不思議に思うかもしれない。しかし、これまでの火星探査によって、過去の火星表面には水があったことがわかっている。太古の火星は現在の地球のように水をたたえ、大気があり生命を宿す必要条件が整っていたのではないか、と考えられている。ところが今の火星はからからに乾いている。そもそも太陽系形成理論によると、太陽に近い地球や火星のような「地球型惑星」では、水などの揮発性物質は失われ、からからに乾いた状態で形成されるはずだという。

太古の火星の想像図(左)と現在の火星。(提供:NASA)

からからに乾いた状態でできた惑星に、水はどこから、どのようにやってきたのだろうか?これは「惑星科学の最重要課題」。現在の理論では、小惑星や彗星、またそれらの破片によって、氷や水が含まれた鉱石が惑星の「外から」降り注ぐことによって、からからの惑星に生命居住可能な環境が作られていったと考えられている。「外から」とはどこか。火星と木星の間には科学者が考えた仮想の境界線「スノーライン」(雪線)がある。これは水が氷にかわる凝固点。スノーラインの外からやってくる小天体が「水の運び屋」というわけだ。

このプロセスを確認するために、どこに行くべきだろう?

火星はスノーラインのギリギリ内側に位置している。そして火星の衛星フォボスやダイモスが「太陽系内の水の輸送をになったカプセル」、つまり水の運び屋そのものではないかと考えられている。火星の衛星には、氷の混じった鉱物などがきっとあるに違いない。その証拠を地球に持ち帰れば、「太陽系内の水の輸送」について重要な証拠が得られるはずだ。だから今、目指すは「火星の月」ということになる。

火星衛星のでき方—二つの説

火星の衛星から持ち帰った石や砂が教えてくれる情報は水だけではない。火星の衛星(=月)のでき方もわかってくると期待されている。地球の月がどのようにできたかがまだ解明されていないように、火星の月がどのようにできたかについても未解明だ。現在二つの有力な説がある。一つは遠方に存在していた小惑星が、火星に捕まったという「捕獲小惑星説」。もう一つは火星に別の天体が衝突し、その破片が散らばり集まってできたという「巨大衝突説」。(ちなみに地球の月の起源の最有力候補も「巨大衝突説」)

もし火星の月が「捕獲小惑星説」でできた天体だとしたら、水輸送カプセルそのものということになる。だから「(石には)氷水が豊富に残っているはず」(JAXA藤本正樹教授)。一方、「巨大衝突説」の方だったら、「鉱物の形が変わっているはずだし、衝突すると温度が上がって水が抜けているはず」。つまり、持ち帰った火星の月の石や砂を調べることで、火星の衛星がどのようにできたか、さらに巨大衝突説の場合には、「どんな物質が」「どこから」「どのくらいの勢いでぶつかったか」も読み解けるという。

NASAの火星探査機バイキング1号が撮影した火星の衛星フォボス。1978年10月に高度約600kmから撮影。フォボスは直径23km。(提供:NASA)

打ち上げは2024年9月、地球帰還は2029年9月

現在の計画ではMMXの打ち上げは2024年9月。火星圏に到達するのが2025年8月。火星の月フォボスとダイモスのどちらを探査するかはまだ決まっていない。探査機は7つの観測機器を搭載し、数十キロの高度から月表面を観測。着陸地点を選ぶためのデータをとる。観測機の目玉でありMMXの「有力な武器」(JAXA奥村理事長)となるのがフランスが開発する近赤外分光計(MacrOmega)。氷を含む鉱物や水関連物質がどこにあるか、数mオーダーで「物質分布の地図」を作成する。

そのマップなどをもとに、科学的成果と着陸の安全性から着陸地点を絞り込む。着陸後はマニピュレーターのカメラによって着地点近くを撮影、最終的なサンプル採取地点を選んだら二重の筒を地中10cmほど打ち込んで、内側だけを引き抜く。10グラム以上のサンプルをとる計画だ。これを複数回行う。2028年8月に火星圏を離脱し、2029年9月に地球帰還。今から12年後!壮大な計画だ。

フランスと協力—仏火星探査の第一人者が見せた情熱

今回のミッションの大きな特徴は、フランスの協力を得ていること。JAXAの常田佐久宇宙科学研究所長 は「宇宙科学研究所の探査はこのMMXミッションで劇的に変わる。搭載装置については世界中を探して一番いいものを載せる」と宣言した。今回のMMXに搭載される世界一の装置が、近赤外分光計(MacrOmega)だ。フランス国立宇宙研究センターCNESの下でフランス宇宙天体物理学研究所(IAS)が開発。IASは欧州の火星探査機ExoMarsにも近赤外分光計(ExOmega)を搭載している。代表研究者のジャン=ピエール・ビブリング博士は彗星探査ミッション「ロゼッタ/フィラエ」や欧州の火星探査機「マーズエクスプレス」、またフォボス探査ミッションにも参加。火星や小天体探査の第一人者であり、生き字引である。

「この日は歴史的な日。MMXに搭載する近赤外分光計はほかのミッションで使っていない非常に感度が高いものになる。数メートルの分解能で衛星全体をカバーする。表面には液体の水はないと思われるものの、氷、水分を含んだ鉱石や炭素化合物を特定できるかもしれない。高解像度の画像を得ることで、どこに着陸したらいいか決められるだろう」(ビブリング博士)

長年、ロシアやアメリカ、欧州と協力してきたビブリング博士は「新しい世代のために新しいタイプの協力をしたい」と語る。またMMXは博士にとってリベンジでもある。1988年に旧ソ連によって打ち上げられたフォボス2号は1989年3月、フォボス表面まで数十メートルまで接近、いよいよ観測機を投下するという段階で太陽フレアの影響によりミッションが終了してしまった。このフォボス計画には今回の近赤外分光計の「おじいさん」と呼ぶべき観測機が搭載され、ビブリング博士も参加していたのだ。その意気込みは半端なく熱く、語りだすと止まらない。

4月10日、MMXの検討に関する実施取り決め署名式を行った日本とフランスの関係者。左端が近赤外分光計の代表研究者であるジャン=ピエール・ビブリング博士。

MMXが成功するには、火星の周回軌道に入り、さらに衛星に着陸し、サンプルをとり、地球に持ち帰るという、いくつもの高いハードルがある。しかしCNESのジャン=イヴ・ル・ガル総裁は「MMXはこれから10年間で最も重要なミッションになるだろう」と自信を見せる。JAXAと協力する理由について「小惑星からサンプルを持ち帰った実績は日本の強力な強み。フランスも彗星探査や火星探査で得た知見があり、MMXミッションでデータを共有し分析を一緒にできれば、大きな進展がとげられる。お互いにWIN-WINの関係だ」と話した。日本とフランスの対等な国際協力でこの挑戦的プロジェクトを成功させ、太陽系の謎を解くことができるとしたら、なんてすばらしいことだろう。