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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

宇宙×スポーツ 勝利を導く宇宙活用術

日本代表が強豪、南アフリカを倒し日本中が歓喜にわいたラグビーW杯2015。2016年には、サッカー英プレミアリーグで岡崎慎司選手が所属するレスター・シティが、創設133年目で初優勝という奇跡を達成。弱かったはずのチームが大躍進する背景に共通点がある。

それは「宇宙」を使いこなしていることだ。

岡崎選手はユニフォームの上から一見、下着のように見えるアイテムを身に着けていた。「デジタルブラ」とも呼ばれたアイテムに仕込まれていた秘密兵器が、小型のGPSデバイス(機器)。このデバイスを使えば、宇宙から選手の動きをリアルタイムで追尾できる。選手の動きなどのデータを数値化、可視化することにより、チームのパフォーマンスの最大化、怪我のリスク軽減に活用していたのだ。

背景にはスポーツ業界の変化がある。2012年からラグビー、2015年からはサッカーが公式試合中にGPSデバイスなどの計測機器を装着することが正式に認められた。2015年ラグビーW杯の成功の裏には「テクノロジーとスピリットの掛け算」があるとラグビー日本代表コーチ・太田千尋さんは指摘する。これからは、テクノロジーを味方につけデータをいかに活用するかが、勝利のカギを握る時代になる。

4年前からGPS/GNSSデバイスを活用している慶應義塾大学ラグビー部(黒と黄色のユニフォーム)。(提供:應義塾體育會蹴球部)

様々なデータの中でも、宇宙を飛ぶ測位衛星からの位置情報が重要な役割を担っている。その点で今年は注目すべき年だ。日本の測位衛星である準天頂衛星が3機打ち上げられ(1機目は6月1日打ち上げ予定)、位置情報の精度が桁違いにあがる。それはスポーツ界にいったい何をもたらすのか。そもそも現状は?3月17日、慶應義塾大学日吉キャンパスに、スポーツ業界と宇宙業界をリードする約70名の人材が集い、熱い議論が交わされた。

日本の測位衛星、準天頂衛星は6月1日の2号機打ち上げを皮切りに、4号機まで3機が今年打ち上げられる予定。測位衛星は自動走行や測量などでは活用されているが、スポーツ業界からも熱い期待が寄せられている。

スポーツ界に革命を起こした「デジタルブラ」

まずは「デジタルブラ」の話から。このブラを使ってスポーツ用トラッキング(追尾)システムを世界の名だたるスポーツチームに提供する、業界のリーディングカンパニーが「カタパルト」だ。オーストラリアの会社でレスター・シティ、ACミランはじめ世界各国の様々なスポーツで1000チーム以上が同社のシステムを採用している。日本に本格参入してから約1年半。柏レイソル、セレッソ大阪、最近ではモンテディオ山形などJリーグで11チームが導入。ラグビーではプロはもちろん、帝京大など大学でも導入が増えているという。

デジタルブラでどんな情報を得ているのか?同社ビジネス開発マネージャーの斎藤兼さんによると「米ロの55機の測位衛星を使い1秒に10回、複雑な選手の動きを精度高くトラックキング(追跡)します。具体的には走行距離、スピード、加速情報。さらに内蔵のセンサー(加速度計、ジャイロスコープ、磁力計)でより爆発的な動き(高強度の加減速、方向転換、ジャンプなど)を測ります」とのこと。

デジタルブラをつける韓国のサッカーチーム「釜山アイパーク」。背中上部、やや飛び出したところにGPS端末とセンサーを搭載。(提供:Catapult Sports)

精度高いトラッキングが可能になった背景には、測位衛星の進化がある。宇宙からの位置計測と言えばGPSという名称がよく使われるが、GPSはアメリカの測位衛星の名称。GPSだけだと約1m近い誤差が生じることもあった。現在は日本の準天頂衛星、ロシア、欧州、中国がそれぞれ測位衛星(GNSS: Global Navigation Satellite System)を打ち上げており、それらを使うことで位置精度が倍になる高精度測位の時代に入っているのだ。スポーツ業界でもGPSでなく、GNSSという名称が一般的になっている。

カタパルトの斎藤兼さんが手に持っているのが衛星からのデータを受信するGNSS端末。小型で軽い。斎藤さんの左側には野球のバットよりちょっと短いぐらいのアンテナがあり、端末からの電波を受けてPC上にリアルタイムで選手のデータが表示される。

競技場によっては、多数のカメラやビーコンを設置して選手の位置情報を把握する地上システム(LPS:ローカルポジショニングシステム)が使えるところもある。しかし、それらのインフラを構築するには莫大なコストがかかる。「宇宙を飛ぶ衛星システムを使えばインフラは必要ない。特にラグビーやサッカーなど屋外の広い場所で細かい動きを見る競技では、高精度なGNSSに期待が高まっている」と斎藤氏はいう。

慶慶應義塾大学日吉キャンパスでデジタルブラをつけて走る慶應大ラグビー部の部員。
PC画面。上部の波形では選手がどのくらいのスピードが出ているか、前半と後半の負荷の違いなどがリアルタイムで一目でわかるようになっている。下で選手の個別の数値データ(走行距離と1分間の走行距離、最高時速など)を表示。デモの時は二人が走っていたので二人分のデータが表示されている。

「怪我が一番多いチーム」が「怪我が一番少ないチーム」に

なぜ選手の動きをトラッキングするのか。目的は主に3つ。怪我のリスクの低減とリハビリの管理、パフォーマンスの最大化だ。プライオリティが高いのは、怪我のリスクの低減だという。身体の限界近くのパフォーマンスを出そうとするアスリートは、常に怪我との闘いを強いられる。NHL(ナショナルホッケーリーグ)では怪我が少ないチームが勝つというデータがある。またプロアスリートには、年俸何千万円で契約している選手もいて、一ヶ月の離脱でもチームにとって大きな経済的損失となる。そのリスクをなるべく軽減したい。

では実際に、GNSSデータを活用しどうやって怪我のリスクを減らしているのだろう?「ポイントは運動量(主に走行距離)と運動強度(高強度の走行距離など)です。どんな運動によって、どの筋肉に負荷をかけるかがわかっている。例えば膝を怪我しがちな選手なら走行距離、ハムストリングス(太ももの裏側)に弱点を抱えている選手は高強度で走りすぎないよう、データをモニターしてあげる。また急激な加速や減速は太ももや股関節、ふくらはぎに負荷を与えます。コーチも長年の経験や選手とのコミュニケーションから、誰がどのくらい疲れているかはだいたい把握できるが、客観的なデータを得ることで、限界までやりたがる選手を説得できるのです」(斎藤さん)

実績も出ている。「(サッカーJリーグの)コンサドーレ札幌に1年間使ってもらったところ、年間の怪我の数はそれほど減らなかったものの、夏場の苦しい時期にパフォーマンスを落とさずにすんだ。高いパフォーマンスを維持できてうまく活用できたとチームから高評価だった」(斎藤さん)。札幌に拠点をおく同チームは試合時の移動が多く、環境も本拠地と異なるためか怪我に悩まされていたそうだ。NBAのラプターズも導入前はNBAで一番怪我が多かったが、一番怪我が少ないチームになったそう。

だが、「このシステムを導入すればすぐに勝てるとか、すぐに怪我が減るというものでもない」と斎藤さんはいう。データを蓄積し選手ごとに過去と現在を比較するにはある程度の時間が必要だし、データをどう分析し、どう生かすかというチームの分析にもよる。目的を明確化し、データ分析能力をもつ人材の確保が必要と言えるだろう。

ところで気になるのは、このシステムを一般の消費者も使えるのかという点。つまりコストだ。選手全員がデジタルブラをつけ、システム全体を買い取った場合、数百万かかるそう(レンタルもあり)。一方、カタパルトはすでに一般向けに拡大を目指した製品(PLAYERTEK)を約200ユーロ(約2万5千円)で販売している。海外では高校などですでに利用されているとのこと。スマホにアプリを入れれば宇宙からのデータが見られるのも嬉しい。

慶應大ラグビー部の宇宙活用

スポーツ関係者は実際にGNSSデバイスをどのように活用しているのか。興味深かったのはラグビー日本代表S&Cコーチ、慶應大体育会蹴球部S&Cディレクターである太田千尋さんのお話。太田さん自身は社会人ラグビーで8年前から、慶應大ラグビー部では4年前からGPS/GNSSデバイスを使い、「試合で何が起きているか」を計測している。具体的には選手がどれくらいのスピードで、どれくらいの距離を走り、加速しているかを測定。データをもとに練習プログラムを組む。太田さん曰く「ラグビーではトップリーグや強豪大学のほとんどが(GNSSデバイスを)使っている」とのこと。

たとえばある選手が試合で肉離れを起こしたとき、データを見る。するとウォーミングアップで出した速度と試合時の速度のギャップが大きかった。「ウォームアップから練習、試合の間に大きな速度のギャップがあると、トラブルが起こります。なんとなくはわかっていてもデータがあると客観的に把握できる。もっと練習時にスピードをあげていく必要がある、とGNSSデータから考えられる」(太田さん)

そして戦略や目標設定・試合後の分析でもGNSSデータが活用されている。慶應大の強みはディフェンス。2016年の目標は7冠を達成していた帝京大に勝つことだった。だが帝京大と慶應大の平均身長の差は7センチもある。巨人の帝京大に勝つために、慶應大は「スピードアップ」を目標に掲げた。

具体的にはタックル後に素早く起きて相手にプレッシャーを与えること、陣取り合戦で相手の選手の前に早くふさがってボールを止める準備をすること等々。これらをGNSSやセンサーなどで計測し数値化した。2015年と比べて2016年の試合中の加速回数は1.5倍に増えたことが明らかになった。結果的に失点が少なくなり、得失点で考えると+23点。対帝京大では2015年には79点差で負けていたが、2016年には11点差まで詰めることができたのだ。

課題の一つは価格の高さだ。「もっと誰でも使える環境がほしい。GNSS端末はタダでもいいのでは。日本代表コーチの立場から言えば、小学生からプロまでしっかり育てられるよう、(チームが移っても)選手のデータを移行できれば」(太田さん)。こうした声は多くのスポーツ関係者から聞かれた。

スポーツのすそ野を広げるために

この「高精度衛星測位のスポーツ活用に関するセミナー」を主催した慶應義塾大学大学院SDM研究所スポーツシステムデザイン・マネジメントラボ(慶應SDMスポーツラボ)代表の神武直彦准教授によれば 「日本や中国、インドが測位衛星をあげるアジア太平洋地域は、世界で一番、精度高く位置情報がとれる地域。欧米の関係者がこの地域で測位に関する様々な実証実験をスタートしている」という。

今後、2019年にはラグビーワールドカップ2019、東京2020大会、ワールドマスターズゲームズ2021関西と世界的なスポーツイベントの開催が続く。「トレーニングや戦略立案、怪我の予防などの目的でGNSSによるスポーツデータの活用が期待される。世界一の精度で宇宙から位置情報がとれる環境を追い風に、これらのスポーツイベントで宇宙技術の活用の成果を世界に見せていきたい」と神武准教授は意気込む。

慶應SDMスポーツラボではGNSSを受信できる受信機を大学などに貸与、試合後にクイックで選手の動きをレビューできる。(提供:慶應SDMスポーツラボ)

重要なのは、トップアスリートだけでなく、スポーツのすそ野を広げること。2019年のラグビーW杯決勝戦が横浜日産スタジアムで開催されることから、横浜市と慶應大学が連携。今年6月から小学生やその保護者を対象に、廉価なGNSS受信機を使ったスポーツアカデミーを横浜市内の小学校やスポーツ施設で開催することが決まっているそうだ。

セミナーでは、準天頂衛星による高精度測位が実現すれば、テニスや野球にも活用できるという期待、またスポーツ観戦中にリアルタイムで選手のデータが表示されるエンタテイメントへの活用など様々な話題が続出。スポーツ×宇宙技術で、私たちももっとスポーツを楽しめる、そんな未来が広がることを期待したい。