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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

宇宙に一番近い場所「アルマ」へ—史上最大の天文プロジェクト現地取材①

日本との時差12時間、日本が冬の今は夏。つまり地球の反対側の南米チリで、史上最大の天文学プロジェクトが24時間フル稼働しているのを知っていますか?その名は「アルマ」。スペイン語で「魂」を意味するこのプロジェクトは、何もかも桁はずれの宇宙級だ。

何が桁外れなのか、数字で見てみよう。「標高5000m」の高原に「66台」の電波望遠鏡を「約16km」(山手線の直径距離)に広げ、「視力6000」で、宇宙の果てを見通す。日本を含む「22」の国と地域が参加する、史上もっとも大規模な天文プロジェクトである。

憧れのアルマ望遠鏡。山頂施設のパノラマ写真。アルマ望遠鏡のウェブサイトより(提供: ESO/B. Tafreshi (twanight.org))

標高5000mでは空気は地上の半分程度だ。風も半端なく強いと聞く。そんな極限環境の中、最大限の科学成果を上げ続けるために日々格闘する人々がいる。想像するだけで心震えるではないか!その憧れのアルマ望遠鏡のメディアツアーが11月末に開催されるという案内を頂き、DSPACE取材班は現地取材を敢行! 過酷な地で働く人たちは、タフで涙が出るほど心優しい人たちだった。4回に分けて現地取材をレポートします。

アルマを目指す「1日半の旅」

まず「アルマ」がどこにあるのか、把握しておこう。

アルマ施設は標高2900mにある「山麓施設」と標高5000mの「山頂施設」の二つに大きく分かれる。(提供:国立天文台)

チリは南北に細長い国だ。「アルマ」はチリの北端、ボリビアとの国境に近い、標高5000メートルのチャナントール高原に作られた。日本からチリへの直行便はないため、今回の旅程は下記になった。

成田→ダラス(米国)→サンティアゴ(チリ)→カラマ(チリ国内線。ここまで飛行機、この先は車)→サンペドロ・デ・アタカマ(「アルマ」のおひざ元の街)→アルマ施設

全行程でほぼ1日半。ダラスまでとサンティアゴまでの飛行機はそれぞれ夜出発、つまり機中泊×2なのでうっかり映画でも見ようものなら、よれよれでサンティアゴに到着することになる。

サンティアゴの「合同アルマ観測所」訪問—熱い!アルマ人

しかし、よれよれしている余裕はなかった。メディアツアーの日程は初日からぎっしりだ。アルマの最前線基地は66台のアンテナが広がる標高5000mの山頂施設(通称ハイサイト)と運用が行われる標高2900mの山麓施設。だが、ここサンティアゴにも「アルマ運用の要」となる場所があるという。メディアツアー参加者12名は、さっそく取材に向かった。

チリの首都サンティアゴにあるESO(欧州南天天文台)サンティアゴオフィス。ESOは約半世紀にわたり、チリで天文台を作り運用してきた実績がある。ここに合同アルマ観測所(JAO)がある。
受付のモニター(左端)にはアルマ望遠鏡のリアルタイム画像が。気分が上がる!

冬に突入した日本から一転、初夏のチリで汗をかきながら歩くこと約15分、到着したのはESO(欧州南天天文台)サンティアゴオフィス。この中に合同アルマ観測所(JAO)がある。アルマプロジェクトは欧州・米国・日本が約30年にわたる調整・交渉の結果、実現。2011年から科学運用を開始した。その三者から構成された「合同アルマ観測所(JAO)」が実行部隊としてアルマの建設や運用をマネジしているのだ。

JAO所長代理を務めるスチュアート・コーダーさんは「アルマでは毎週のように驚く成果が出ている」と話す。66台の電波望遠鏡のうち、日本は12mアンテナ×4台、7mアンテナ×12台の計16台を担当する。日本の貢献について伺うと、「つい最近、アンテナのメンテナンス方針に関する審査会が行われたばかり。日本のアンテナは機能的で信頼性が高い。12mアンテナは早く駆動して空の広い範囲を観測する性能において、他より優れている」と高評価。「欧米のアンテナは広い範囲に展開して細かく見る。一方、日本はコンパクトにまとまって視野を広くし全体をカバーする。ラーメンに例えれば具の一つ一つを詳しく見るのが欧米のアンテナだが、それだけではラーメン全体は見えてこない。日本が参加することで、スープも含めた全体像をカバーできるのです」

ラーメンに例えて日本の貢献を説明して下さるなんて、日本通に違いない。さらに「日本はアンテナや受信機、アメリカは干渉計の基準になる装置など、参加国がそれぞれが得意にする技術を持ち寄ることで、アルマ望遠鏡は素晴らしい一つのものを作ることができた」と胸を張る。

大きな国際プロジェクトを束ねる苦労は?という質問には、ふーっとため息をつき「ビッグ クエスチョン」とニヤリ。「異なる意見が出ることはよくある。しかし大事なのは『ゴールを明確にすること』。いい成果を出すことが我々の大原則であり、そこに向かうためにどうするか繰り返し話し、妥協ポイントを提案します」。

ご自身も天文学者であるコーダーさん。アルマの観測でもっとも驚いたことを聞くと「二つある。一つはアルマが観測開始前にどのくらいの観測時間が必要か計算したところ、過去に別の望遠鏡で26時間かかっていた観測がたったの45秒で観測可能という数値が出てきたこと。段違いの性能なのです。もう一つはおうし座HL星の周りの円盤を見た時です。以前ロサンゼルスの天文台で観測したときは、点にしか見えなかった。アルマでここまで(惑星が成長していると思われる現場が)鮮明に見えるとは大興奮です。これからの観測に期待している」と情熱的に語ってくれた。

合同アルマ観測所所長代理 スチュアート・コーダーさん。

アルマ最前線基地に向かう前に、国立天文台チリ観測所教育広報主任の平松正顕さんから概要についてレクチャーがあった。なぜアルマ望遠鏡がチリのアタカマ高原に建設されたか。その理由は主に3つ。「天候」「政治的安定さ」「立地」だ。アルマが観測する電磁波(ミリ波・サブミリ波)は水蒸気に吸収され、湿気が多い場所では観測できない。なるべく乾燥した場所を求めた結果、年間降水量が100ミリ以下で空気が薄いこの地が選ばれた。さらに港に比較的近い立地は、船で運ばれたアンテナの運搬にも適していた。

平松さんの話で特に印象的だったのは二つ。「アンテナが並ぶ山頂は空気が澄んでいて、地平線ギリギリまで星が見えます。また現地はインカ帝国の南の端にあたります。インカの人々は天の川の中の黒く見える部分をつないで星座を作りました。星が多すぎて星をつなぐ気にならないのです。アルマ望遠鏡も光を放つ天体でなく、ガスやチリなどの暗黒宇宙を主に観測する。インカ帝国の人たちが昔見ていた同じ場所を、アルマが違う手法で今見ていることが面白い」。あぁ、その星空を早く見てみたい。

インカ帝国時代、星々でなく黒く見える部分をつないで作られた星座を説明する平松正顕さん。
ESO/JAOから歩いて約15分の国立天文台サンティアゴ事務所も訪問。阪本成一所長はアルマの建設地探しから深く関わっている。「チリ観測所のスタッフは約100名。そのうち23人がチリで働いているが、4か所の離れた現場にいてコミュニケーションをとるのが大変」と語る。

「まるで火星」—アルマを目指しバスはひた走る

いよいよアルマの観測現場へ向けて出発。首都サンティアゴからチリ北端に近いカラマへ空路約2時間。カラマからは、アルマのおひざ元の街サンペドロ・デ・アタカマへ国道23号線を東へ。アンデス山脈を目指しひた走る。

大都市サンティアゴとは風景が一変。荒涼とした赤茶けた砂漠が延々と広がる光景は、まるで赤い惑星・火星のようだ。風力発電のプロペラが林立し、風の強さを物語る。

カラマからサンペドロ・デ・アタカマへ国道23号線を延々と行く。遠くにアンデス山脈の連なりが見える。

出発から約1時間半後、バスが停まった。「月の谷」と呼ばれる場所で、観光スポットでもあるという。長い年月をかけて浸食された地形や切り立った岩肌・・ここは火星なのか、月なのか。地球外を思わせる宇宙的光景であることは間違いない。ジリジリと照り付ける太陽が、肌に痛い。

月の谷。切り立った岩の間をトレッキングすることも可能。いつか再訪したい。

カラカラに乾き、地を這うような草しか見なかった約2時間のドライブの後、水や生い茂る樹木が見えて来てほっとする。アタカマのオアシス、サンペドロ・デ・アタカマだ。ここはチリでもっとも古い町の一つであると同時に、アルマのおひざ元でもある。アルマで働く人たち用に山麓施設に宿舎はあるが、この街から通う人もいるそうだ。

サンペドロ・デ・アタカマの中心部。星を見るツアーも行われている。

アルマサイトへ到着!

標高約2400mのサンペドロ・デ・アタカマに一泊し、高地に身体をならす。翌日、アルマサイトへ。ホテルから車で約40分、「Observatorio ALMA(スペイン語でアルマ観測所)」という標識が見えた。ここからはアルマ望遠鏡の専用道路だ。守衛所でチェックを受けると、ゲートのバーが上がり、バスはいよいよアルマ山麓施設に向けて走り出した。ヒャッホー!

国道からアルマ望遠鏡サイトへ向かう専用道路へ。右に見えるのが守衛所。
守衛所から見える光景。「アタカマ富士」と呼ばれるリカンプール山(中央)が美しい。足下にはカラカラに乾きひび割れた塩湖。

目指すは山の中腹に白く見える、標高2900mの山麓施設。バスはガタガタした山道を登っていく。アルマの建設地調査中はこの専用道路もなく、近くの国道を使っていたそうだ。阪本所長によると、山賊が出ることもあったそう。高山病や山賊など危険と隣り合わせの苦労を重ねた末に、アルマは建設されたのだ。

山麓施設に向かう道中には、石を積み上げたような遺構がところどころに見られた。この地に長く暮らす遊牧民の居住遺構だという。「アルマプロジェクトは考古学的に重要なものや環境を保護することを約束しているため、専門家にどこに何があるかチェックしてもらっています」(阪本所長)。

ようやく建物が見えてきた。「到着です」。ついに来た!アルマ最前基地。そこは火星に突如現れた、小さな町のようだった。250人が働く最前線の科学運用施設を機能的に維持するため発電所があり、空調が整った建物が並ぶ。テクニカル棟には望遠鏡を動かし観測を実行するコントロールルームや、受信機などの技術調整を行うラボがある。さらに120人を収容する宿泊施設、食堂、プールやジム、サウナまである。乾燥したこの場所で健康に働くため、至るところに給水機がおかれている。

標高2900m、アルマ山麓施設に到着!約250名が働く小さな街。
テクニカル棟を入るとすぐ左側にコントロールルーム。観測を行う天文学者がここに来ることはない。プログラムに沿って、観測が24時間体制で次々実行されていく。
「アルマへようこそ!」と書かれた案内板。施設の配置図(左下)と緊急連絡先など安全のための情報(右下)が併記されている。
発電所。
レジデンスと呼ばれる居住棟。欧州が担当しただけあり、中は豪華。
取材中、「僕らも撮って~!」とポーズしてくれる!超フレンドリーなアルマの人々。

山麓施設でアルマ望遠鏡の観測や機器のメンテナンスがどのように行われているかは、担当者へのインタビューと共に次回以降、じっくり説明していきます。そして旅の目的はまだ先にある。アンテナ66台が並ぶ山頂施設=ハイサイトへ行くためには、大きな関門が待ち受けていた・・・。次回をお楽しみに!

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