「星の力」—3.11の星空に人々は何を想うのか
2011年3月11日、東日本大震災の夜、地上の悲惨な状況と対照的に、夜空には満天の星が広がっていた。そして数多くの流れ星。人々はどんな想いで星空を見つめたのか。ある人は不安と恐怖の中、運転を続けて疲れ果て、夜空を仰ぎ息をのんだ。「天の星々は溢れる光で私を奮い立たせてくれました」。あの星空は「絶望とは対極の希望の光だったのでは」と感じた。またある人は流れ星は天国へ向かう魂だというエピソードを思い出し、その多さに耐えられなくなり目を伏せた。「あれほどつらい星空は、これまでもこれからも決して見ることはないだろう」と言う。
これらは仙台市天文台が制作したプラネタリウム番組「星空とともに」で紡がれる被災者の体験であり言葉だ。彼らは暗闇で極限状態の中にありながら満天の星を眺め、星の光に希望や無情を感じていた。震災を忘れないため、その日の星空とともに人々の想いを伝え残していこうと制作された同番組は、2012年に仙台市天文台だけの投映からスタート。年々投映館が広がり、2018年は北海道から鹿児島まで32館で投映された(2018年5月時点)。 全国で大きな反響と共感を呼んでいる。
私の心に深く残ったのは、あるお母さんの言葉。不安な避難所生活中、11歳のお子さんが満面の笑みで「星がね、すごいんだよ」という言葉に頭を上げると、こぼれ落ちてきそうな星空。涙が一気にあふれだした。「悲惨な状況でも、美しいものや楽しいものを見つけられる素敵な子どもたちを何としても守っていかねばと、弱気になっていた心に活を入れられた忘れられない夜だった」(「避難所の星空」より 阿部美奈子さん/2011年3月27日 毎日新聞)。星空を見上げる親子の姿やお母さんの気持ちを想像し、涙が止まらなかった。同時に、星がもつパワーを実感した。
仙台市天文台では全国からの予想以上の反響を受け、「星空とともに」第二章の制作にとりかかるという。どんな番組を目指しているのか。同天文台に高橋博子さんを訪ねた。
「星が綺麗」と口に出してはいけないと思った
高橋さんは仙台市天文台で約40年働き、プラネタリウム番組の企画・解説などを行っている。「星空とともに」も高橋さんと同僚の大江宏典さんの二人で企画制作した番組だ。
実は、高橋さんご自身は3.11当日夜に見た「とんでもなく綺麗な星空」について、語ってはいけないと自制していたという。「今は星を見ている状況ではない」と。しかし、天文台が再開し訪れたお客さんから「あの日は星が綺麗でしたね」、「なんで星が綺麗だったんですか」と次々に聞かれて驚き「あの日の星のことを喋っていいんだろうか」と思い始めた。
震災1年後に仙台市天文台で何ができるかを考え、星空のエピソードを集めてプラネタリウム番組を作ろうと思ったのには、二つのきっかけがあった。一つは石巻市で9日ぶりに救出された高校生(当時)が救出までの間どう過ごしたのかを尋ねられ「夜空の星がきれいでした」と語った新聞記事を見たこと。「生死を分けるような状況で、なぜ星のことを話したのかと衝撃を受けました」(高橋さん)。
もう一つは2011年7月、小学6年生(当時)が東北六魂祭で読んだ作文。震災の夜、閖上(ゆりあげ)小学校の屋上で、津波が黒い闇のように家も人も奪っていく光景を見ながら、星の光に励まされたことを綴っていた。そして最後に「小さな私でも誰かの心の光、希望の光となるように、一生懸命頑張ります」と力強く誓ったのだ。閖上地区は大きな被害に見舞われた地域。悲惨な状況を目の当たりにしながら星の光に励まされたとは。ここでも星のエピソードが出てきたことに高橋さんは驚いた。
「星で何かを伝えることができるのでは」。高橋さんらは新聞やネットなどから震災の日の星空のエピソードを探し始めた。17のエピソードが集まると、被災している自分たちの肉声で伝えようと天文台のスタッフが朗読した。
2012年3月、仙台市天文台で地元の人に向けて「星空とともに」を投映した。高橋さんは上映前、「受け入れられるかどうか、ものすごく心配でした。『なんでこんなものを見せるんだ』、『思い出すじゃないか』、『苦しいじゃないか』と言われると想定していたんです」と明かす。ところが予想に反して「苦しくはなるけど、当時のことを思い出してよかった」という声が圧倒的だったという。
「星の力」—見えてきた星の新たな役割
プラネタリウム投影を長年続けてきた高橋さんは「星空とともに」を通して、新たな星の役割が見えてきたという。「星空に震災の記憶が刻み込まれ、星を見ることで当時を思い出すんです。さらに被災地の星を見ていなかった人も、震災の日の星空が綺麗だったという話を聞いて興味を持って下さり、星空を通して当時の状況を受け止め、被災者に寄り添ってくれる。星空は震災のことを伝える媒体なんだと思いました」
それは高橋さんにとって「別次元」の星の見方だった。「プラネタリムという職場で働く人間にとって、星を見せるということは、星のことを教えてあげること。この星とこの星を結ぶと星座ができるとか、この赤い星はもうすぐ爆発しますよとか。でも『星空とともに』に出てくる人は、たとえ星の知識がなかったとしても一人一人が星とつながり、自分の心と向き合っているんです。『私たち、いらないじゃん!』と思いました(笑)」。
星には想像を超えるすごい力がある—そう思った高橋さんはいても立ってもいられなくなった。「星って凄いんだよ」とプラネタリウムや望遠鏡で星を見せている人たちに知って欲しい。星には一人一人とつながる力があると知った上で、星の解説をするのとしないのとでは、使う言葉は同じでも伝わり方が違ってくるはずだ。
たくさんの人たちに助けられ、2013年6月、全国のプラネタリウム関係者が参加する会合で「星空とともに」の特別上映を開くことができた。投映が終わるやいなや、高橋さんは多くの人々に囲まれ「うちの館でも投影したい」「全国でやれたら」と熱い言葉をかけられた。そして全国に投影の輪が広がっていったのだ。
2015年から投影を続ける倉敷科学センターの三島和久さんは「『星空とともに』がすごいのは、『大事なテーマだから』とプラネタリウム関係者間で草の根的に投映の輪が広がり、今年で30館を超えるまでに至ったという前例がない展開を見せた点、それから『人はなぜ星と繋がろうとするのか』という太古から繰り返されてきた、星と人間との根源的な関係性を考えさせるテーマも潜んでいる点です」とその大きな意味を語る。
第二章の制作へ—クラウドファンディング実施中!
そして今、仙台市天文台では「星空とともに」第二章制作に向けて動き始めている。震災から7年が経った今も震災の影響は続き、厳しい現実と向き合う人々がいる。震災を風化させないために、星空を通して伝えていこうという新たな挑戦だ。具体的にどんな内容を考えているんですか?
「第一章制作後、もっといろいろなエピソードがあるとわかってきました。また、第一章で出てきた人たちのその後の様子も描きたいと考えています」。高橋さんは、第一章で震災により娘さんとお孫さんを亡くし「会いたい」という女性のエピソードを朗読したが、同じ年代でもあったことから身につまされたという。その女性に何度も話を聞きに行っている。また、石巻で9日後に救出され「夜空の星がきれいでした」と語った男性にも会いに行った。彼が見た星空をもっと知り、共有したいと対話を重ねている。
より多くの人に見てもらうために、プラネタリウム以外の形式も考えている。第一章はプラネタリウムでしか投映できず、「学校の授業で子供たちに見せたい」という要望に応えられなかったことから、第二章では通常の映像機器でも再生できるDVDを用意する予定だそう。この第二章制作をより多くの人たちに知ってもらい、制作過程を共有してもらおうと仙台市天文台ではクラウドファンディングを実施中だ。
「星空とともに」を見るたび、震災や被災した方々に心を寄せるのはもちろん、自分がこの宇宙に生きていることのありがたさを実感する。それは星空と人々に真摯に向き合う高橋さんたちが番組の細部まで気を配り、現実と向き合いつつも希望を持たせる内容になっているからに他ならない。第二章もきっと私たちと星との関係を考えるような作品になることだろう。あなたも是非応援し、その制作過程を伴走しませんか?
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