「素振りの時間は進歩の時間」—若田・古川宇宙飛行士、宇宙滞在決定!
野口聡一宇宙飛行士の打ち上げ・ドッキング成功が冷めやらぬ中、ビッグニュースが飛び込んできた。2022年頃に若田光一宇宙飛行士が、そして2023年頃に古川聡宇宙飛行士がISS(国際宇宙ステーション)に長期滞在することが11月20日、発表されたのだ!
二人はスペースX社のクルードラゴン、またはボーイング社のスターライナー宇宙船で飛び立つことになる。どんな思いで宇宙に向かい、何を目指すのか、会見で語った言葉からひも解いてみたい。
4回までの累積宇宙滞在日数は347日!
若田飛行士は1963年生まれ。日本人で最も多く宇宙に行った宇宙飛行士だ。4回の宇宙滞在日数は合計347日間。しかし、若田飛行士は「毎回、これが最後のミッションと、思い残すことがないように全力投球してきた」と語る。
若田飛行士に何度もインタビューさせて頂いた中で、もっとも印象に残る言葉は「守りに入るな」。定常状態に入ると成長は鈍化する。「あえて厳しい環境に身を置くことで成長する」という信念のもとに、若田さんほど宇宙飛行の合間に様々な業務を担当している宇宙飛行士は他にいないのではないかと思う。
たとえば2000年の2回目の宇宙飛行から2009年の3回目に飛ぶまで、9年間かかった。2003年2月にスペースシャトル・コロンビア号事故が起こったためだ。飛行再開の条件として事故調査委員会は、ロボットアームの先端にセンサー付き検査用ブームを取り付けるようNASAに命じた。その開発チームに若田飛行士は卓越したロボットアーム技術を買われ、NASA宇宙飛行士室代表として参加している。
そして、「宇宙飛行より大変だった」と若田さんが語ったのが3回目と4回目の宇宙飛行の間に就任した、NASAのISS運用部門チーフ。日本人がNASA宇宙飛行士室のマネジメントになるのは初めて。日々世界中から上がってくる新しい問題を効率的に解決するには、どの部門の誰と交渉すべきか。訓練担当か、運用管制部門か、管理部門か。巨大な組織の中でチーム全体の枠組みと動きを把握し、仕事の優先順位をつけながら問題解決の手法を学んだという。同時に相談してくる宇宙飛行士に「頑固おやじのように毅然と接したり、時には恋人のようになだめたり」。相手の状況に応じて、士気を下げないように対応。その経験が次の宇宙飛行で担った、ISS船長に生かされたことは間違いない。
その後、JAXA理事に就任。しかし、宇宙飛行士の「現場」である宇宙に戻りたいという情熱の炎は若田飛行士の中で燃え続けていた。訓練はもちろん、ジョギングや筋トレ等を怠らず、5度目の宇宙への切符を手に入れたのである。4回の宇宙飛行の累積日数は347日。5回目の宇宙飛行で累積滞在1年を超えることは間違いないだろう。
月探査に向けた技術実証
5回目の宇宙飛行について、若田飛行士が11月20日の記者会見で繰り返し語ったことがある。「昨年度は日本が月有人探査計画『アルテミス』への参画を決めた。今年は2024年以降のISSの方向性を決める重要な年。ISS長期滞在では日本実験棟『きぼう』の3つの柱である科学利用、民間利用、探査のための技術実証で成果を出して、日本のプレゼンスを高め月探査につなげていきたい。それが私に課せられた重要な任務」だと。特に、探査のための技術実証については、日本が開発した水再生装置、月や火星の重力を模擬できる実験装置などを活用していきたいと語る。
そして、次回こそ、と願うのが「船外活動」だ。実は4回目の宇宙飛行で若田さんが船外活動を行うチャンスはあったようだ。しかし、その船外活動で宇宙飛行士の足場となるロボットアーム操作に、非常に難易度の高い操作が必要とされた。比類なき技術をもつ若田さんが担うことになったと聞いた。次はぜひとも、悲願の船外活動を実現してほしい。
若田さんは11月15日(現地時間)、野口飛行士が搭乗したクルードラゴン「レジリエンス号」の打ち上げをNASAケネディ宇宙センター(KSC)で見守った。スペースシャトルやソユーズ宇宙船の打ち上げとの違いはあったのだろうか。記者会見で尋ねた。
「今回全く異なっていたのはコロナ禍での打ち上げだったということ。感染対策が万全に行われており、射場の雰囲気が全く違いました。宇宙機についてはシャトルより小型で、最も印象的だったのは、ファルコン9ロケットが垂直に上昇していくこと。また一段ロケットが戻ってくることも遠くから見ることができました。再利用ならではの光景でした」
自分が乗るかもしれないと思うと、どう感じましたか?「希望を感じさせる素晴らしい打ち上げ光景でした」としつつも「今回野口さんが搭乗したのは運用一号機。当然リスクがあります。まだ私はどの宇宙船に乗るかは決定していませんが、すべてのフライトは試験飛行という意味合いを持っています。万全の準備をしてのぞみたい」と気を引き締める。
「宇宙医学研究を推進したい」という強い意志で、素振り10年
そして、2011年の宇宙飛行から9年目、2回目の宇宙飛行が決まった古川聡飛行士。1964年生まれで元野球部である古川飛行士は、こんな風に心境を語った。「1999年に宇宙飛行士候補者に選ばれてから12年間、練習を重ねて(2011年に)試合に出させてもらった。そのあとはベンチ裏で選手以外の仕事を続けながら素振りを約10年。将来の試合が見えて背番号をもらえて素振りに更に熱が入る。継続は力なり。しっかり準備を重ね充実したミッションにしたい」
2011年の初飛行で古川飛行士は医師でありながら、ソユーズ宇宙船のフライトエンジニアの資格を得た。これは船長に不測の事態が起こった場合、船長に変わり操縦を担うという重要なポジションだ。古川飛行士がISSに長期滞在中には、ロシアの貨物船の打ち上げ失敗が起こった。宇宙飛行士を打ち上げる際のロケットと同じロケットを使っていたことから、ISSへの宇宙飛行士打ち上げはしばらく凍結、ISS無人化が議論された。古川飛行士らは通常業務に加えて、ISS無人化の作業を行う必要があり、ストレス度が格段にあがったようだ(その後、ロケット打ち上げが成功し、ISS無人化は回避された)。
それ以外にも様々な危機があったが、常に笑顔とユーモアで乗り切った古川飛行士が、帰還後にまい進したのは「宇宙医学研究」である。医師としての背景をいかし、大型の宇宙医学研究プロジェクトのリーダーとして数多くの研究を率いてきた。「古川さんの2度目の宇宙飛行はいつ?」とJAXA関係者に尋ねると「あれほどの医学研究プロジェクトは古川さんでないと、けん引できないから・・」と聞いたことがある。古川さん自身も「宇宙医学研究を進めるという強い使命感を持っていた」と語る。
同期で選ばれた星出飛行士はその間、何度も宇宙飛行をしている。「焦りはなかったか」と聞いても「特にない。しっかり有効に使って準備をしたい」とにっこり。
古川さんのお母様に以前お話を伺った際、「聡は幼いころから、焦ったり人をうらやんだりすることが全くない」と聞いた。それが古川さんの最大の魅力であり、武器なのかもしれない。
2023年の宇宙滞在中に行う実験についてはまだ決まっていないとしながら、個人的に興味をもっている実験を聞くと「腸内環境と免疫の関係」をあげた。「腸内環境は動脈硬化や糖尿病と関係があり、ストレスでも変化すると地上研究で言われています。一方、宇宙で免疫力が低下することが報告されていて、もしかしたら腸内細菌を介している可能性がある。もし宇宙で腸内細菌が変化するなら、どうやっていい方向に変化させるかなどの研究に関わりたい」と語る。初飛行では宇宙酔いの様子を「ウゲー!気持ち悪くて吐き気がする」など率直にツイートして下さった古川さん。身体をはった医学レポートに期待したい。
宇宙飛行士を目指す人たちへ
来年、月探査を目指す新しい日本人宇宙飛行士の募集がスタートする予定だ。宇宙飛行士を目指す人たちへのメッセージを問われた二人の答えが印象的だった。
若田さんは「宇宙飛行は各国の政策や、様々な宇宙プログラムの方針変更に左右される。その荒波にもまれながら宇宙飛行士の仕事を続けてきた。(その経験から言えることは)フレキシブルにいかなるミッションにも対応できる能力をもち、士気を維持すること。宇宙で何をしたいのかという確固たる目標をもち、宇宙飛行士を目指して頑張ってもらいたい」
古川さんは「宇宙ミッションは様々な背景を持った人たちが必要になる。専門性をもち貢献したいというやる気のある人に、ぜひ応募してほしい。一方、宇宙飛行士に転職した後は元々のキャリアは残念ながらなくなることが多い。また、1~2年で結果を出すことは難しく、準備を積み重ねることが大事。その上で宇宙開発はやりがいのある素晴らしい仕事です」
自分のキャリアを完全に生かせるかわからず、様々な事情に翻弄されることもある。どんな仕事でもこなせる能力を磨きつつ、宇宙への情熱を保ち続けること。つまり「素振り」こそが宇宙飛行士の仕事の本質と言ってもいいかもしれない。
素振りについて、甲子園をめざす野球少年だった若田飛行士のこの言葉を最後に伝えたい。「コロナ禍で自分に言い聞かせてきたのは、単に素振りをするのではなく、自分が何をすべきかを考えしっかりした目標をもつこと。試行錯誤を通じて学ぶこと。振り返れば大きな壁にあたって努力をしているときが伸びているとき。『素振りの期間が進歩の期間』なのです」
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