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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

「SLIM、待っててね」月を目指す宇宙飛行士候補者が行う、日本独自の訓練とは

体力訓練で汗を流す米田あゆさん(左)と諏訪理さん。週3回、1回2時間程度、有酸素運動と筋トレなどを行う。

2023年2月28日、4127人の応募者の中から2人の日本人宇宙飛行士候補者が発表されてから約1年。諏訪理さんと米田あゆさんは今、正式な宇宙飛行士認定を目指し、日本を拠点に基礎訓練を受けている。その様子が1月31日、プレスに公開された。

有酸素運動ではボート漕ぎの要領で行うローイングエルゴメーターも使用。月や惑星への探査では重量制限が厳しくなる。より小型で複数の訓練ができる運動器具の開発が検討されている。
筋トレでは上肢を鍛えるものが多かった。写真はリストローラーを用いて手首を強化する訓練。

宇宙飛行士候補者の基礎訓練期間は約20か月間。今年11月ごろに正式に宇宙飛行士認定を目指す。

これまで選ばれてきた日本人宇宙飛行士候補者の多くは、選抜されるとすぐに渡米、NASA宇宙飛行士候補者と一緒に1年半~約2年間にわたり宇宙飛行士候補者クラス(Astronaut Candidate Class、アスカンと呼ばれる)を受け、宇宙飛行士に認定されていた。1度だけ、1999年に選ばれた星出彰彦飛行士、古川聡飛行士、山崎直子飛行士の3人は日本で基礎訓練を受けている。

つまり、日本で基礎訓練が行われるのは約24年ぶりということになる。その間、日本の有人宇宙開発は大きく進展した。ISS(国際宇宙ステーション)の建設が進み、「きぼう」日本実験棟が完成し、「きぼう」を365日見守る管制官や、世界の宇宙飛行士を日本で訓練するインストラクターが育った。有人宇宙開発の知見が蓄積されてきたのだ。

その知見をいかして、どんな基礎訓練が行われているのか。

日本の基礎訓練の特徴は?「実践的な訓練」

1月31日「宇宙飛行士候補者合同取材機会 基礎訓練概況説明」より(提供:JAXA)

基礎訓練は上記のように大きく4つの分野で行われる。宇宙飛行士候補者訓練について、国際的に「何を学ぶべきか」という項目は決められているが、その手法は各宇宙機関にゆだねられているという。

では20年前に日本で行われた基礎訓練と今回は、具体的に何が違うのか。JAXA宇宙飛行士運用技術ユニット宇宙飛行士運用グループ長の阿部貴宏氏は「20年以上前の基礎訓練の反省事項として、座学や講義が多く、知識の詰め込みに注力しすぎていた。もう少し実践的な運用に近い訓練を提供したい」と説明する。

具体例の一つとしてあげたのが、「きぼう」運用管制官向けの訓練だ。ISS「きぼう」日本実験棟の宇宙飛行士と交信する担当(J-COM)の訓練を受ける。「ISSと地上でどういうコミュニケーションがなされているのか、地上側がISSの運用をどうやってサポートしているのか、実践的な知識を身に着けてもらう。英語のコミュニケーション能力の向上にもつながる」(JAXA阿部氏)というのがその狙いだ。

「きぼう」運用管制室でJ-COMの訓練を受ける米田あゆさん。(提供:JAXA)

また、興味深いのは、基礎工学の訓練の一つに超小型人工衛星トレーニングキット(日本大学山﨑政彦准教授が開発した「HEPTA-SAT」)を使って、実際に人工衛星を製作する実習を行ったこと。

「宇宙機としての人工衛星の役割を学ぶとともに、実習を行う中でシステムズエンジニアリングの肝となる部分、工具の使い方、電気・電子工学について学ぶのが目的」(JAXA阿部氏)。組み立てはもちろん、衛星のミッションを考え、そのミッションを達成できるようプログラミングも行ったそう。「衛星を実際に打ち上げることはないが、地上で電源を入れて模擬ミッションを達成できるかまで確認、無事ミッションを達成した」とのこと。

超小型衛星トレーニングキット「HEPTA-SAT」で実際に衛星を作り、実験を行った2人。宇宙飛行士は「きぼう」から超小型衛星を放出することも多く、その製作過程を理解することは有意義に違いない。(提供:JAXA)

従来、基礎訓練で宇宙飛行士候補者たちが最も苦しんできたのが、航空機操縦訓練だ(前職がパイロットだった油井飛行士や大西飛行士は例外)。この訓練は米国テキサス州ヒューストンで実施された。目的は飛行機を飛ばす技術を高めるためではなく、宇宙飛行士に必要な「マルチタスク能力」を高めること。管制官と英語で交信を行いながら計器をチェックし、天候の変化など様々な状況を認識しながら適切な操作やコミュニケーションを行う。ストレス環境下での的確な状況認識や判断力を向上させることが目的だ。

航空機操縦訓練を受ける米田さん。(提供:JAXA)

今後の訓練 月探査を念頭にした地質学訓練、民間企業の知見を得ながら

今後もユニークな訓練が控えている。例えば「基礎地質学」の訓練。将来の月・火星の探査を想定して日本国内で地質学に関する基礎知識を習得する。野外実習やフィールドワークも行う計画だ。

他の宇宙機関でも将来の有人探査に向けた訓練が活発化している。例えば、基礎訓練ではないが、ESA(欧州宇宙機関)で行われたパンゲア訓練には大西卓哉飛行士も参加した。宇宙飛行士が欧州各地のフィールドを移動しながら地層や岩石などを調査、離れた場所にいる科学者チームと交信しながら探査を進める。「月探査を想定した実践的な訓練だった」と大西飛行士は語っていた。

ESAで行われている、将来の有人宇宙探査を想定したパンゲア訓練の様子。(提供:ESA / A. Romeo)

民間企業の知見を得て実施するのも、今回の基礎訓練の特徴だ。例えばサバイバル技術訓練はSpace BD社と行う。同社のプレスリリースによると、ボーイスカウト日本連盟及び陸上自衛隊からの協力を得て行うとのこと。「ミッション時に起こりうる気候や気象条件下におけるサバイバル技術の習得を目指します。野外訓練では、孤立した状況に置かれた際の優先的に行うべき行動の判断や、自然界に存在するものを活用したサバイバル実践などが予定されています」と書かれており、どんな内容か興味津々だ。

さらに、ANAと協力して行う「心理支援プログラム」では、パイロットに提供している訓練を実施する。そもそも宇宙飛行士訓練は、航空会社とNASAが作り上げたCRM(クルーリソースマネジメント)訓練がもとになっている。1970年代に相次いだ航空機事故を調査した結果、個々の能力は高くても、伝達ミスや上下関係などチームの対処能力に課題があることが浮上。そこでチーム力を上げるために航空会社とNASAが中心となってCRM訓練を開発。クルーの人的資源(リソース)を引き出し、チームで最大のパフォーマンスを上げる内容であり、宇宙飛行士訓練にも導入された。

「月にいたらそっとSLIMの姿勢を直してあげられたのに」

自分の名前が入ったブルースーツを着て会見に臨んだ諏訪理さん(右)と米田あゆさん(左)「鏡を見ると、着こなしているというよりも着られているのが正直な感想。訓練を重ねて宇宙飛行士の自信をつけて一日も早く着こなせるよう励みたい」(諏訪さん)

訓練公開後、諏訪理さんと米田あゆさんは、ブルースーツ姿で記者の前に姿を現した。月を再び人類が目指す国際プロジェクト「アルテミス計画」で、月を歩く可能性がある2人。月着陸機SLIMによる月着陸をどんな思いで見守ったのだろうか。尋ねてみた。

米田さんは「ドキドキして固唾をのんで(SLIMを)見守る気持ちでした。月に着いた瞬間はどうなることかと思いましたが、その後の会見でピンポイント着陸の精度が高かったこと、SLIMに太陽光が当たって目覚めて分光カメラの科学観測が始まったこと、写真が送られてきたこと、月でのネットワークが確立し、それを日本がやったことに対してすごくすごくうれしかったし、今後、月面での活動が始まる。『新しいショーが幕を開けたのかな』という気持ち」と饒舌に語る。

「SLIMが到着した後「SLIMが到着した後は月を毎日見ていた。うさぎの左耳のあたりにいるのかな、『みんなの思いと太陽光がどうぞソーラーパネルに当たって!』という思いで。あそこにSLIMがいるという思いで今後もずっと月を見続けるし、『待っててね』みたいな気持ち」。月への思いがあふれ出す米田さん。

諏訪さんは「LEV-2(SORA-Q)が撮った画像でSLIMが倒立している姿を見たときに、『もしあの場にいたら、そーっと姿勢を直してあげられるのにな』と思いました」と話す。本当に「あの場にいれば」と誰もが思うSLIMの姿だが、宇宙飛行士ならなおさらだろう。また「SLIMは月や惑星の探査時代が始まる象徴であり、日本が参加することを表すできごと。JAXAの一職員としても誇らしく思った」とも。宇宙開発は国際的な協力と競争で、互いに技術を高めあいつつ進められる。日本のプレゼンスをなお一層高めたいという思いは、2人に共通のようだ。

訓練については「なんでこんなに楽しいのか」(諏訪さん)と思うほど充実しているようだが、辛い訓練もある。2人が口をそろえたのが飛行機操縦訓練。「人生でやったことがなく大変なこともあって、最初の2週間はかなり落ち込んでいた。でも楽しいと思えてくる瞬間がある。辛いことでもきっと乗り越えると楽しくなると思って、今後の訓練も頑張って乗り越えていきたい」(諏訪さん)

クラスメイトは2人だけ。お互いにどう助け合っているのかを問われた米田さんが答えたのが、ブルースーツを着た状態での10分間の立ち泳ぎ。「しんどいと思ったとき、諏訪さんが『しゃべっていたほうがいいんじゃないか』と言ってくれた。しかも日本語でなくロシア語や英語で。時間が経つのがあっという間だった」と米田さんが言うと、諏訪さんは「途中から辛くてしゃべるのをやめようかと思うこともあったが、ここでやめたら『あいつ、辛くなってきたな』と思われるのが嫌で、無理やり付き合わせてしまった」と笑わせた。ロシア語で話しながら着衣での立ち泳ぎなんて、想像を超えている。

水泳の訓練では、着衣で平泳ぎまたは横泳ぎで75m泳ぐこと、立ち泳ぎによる10分間の着衣泳ができるかなどを確認。(提供:JAXA)

訓練は折り返し地点に入った。お2人が最後に語ったのは「一朝一夕でなく日々の小さな積み重ねが大事」「真摯に続けたい」とごく当たり前のこと。だけどそれを毎日実践するのは難しい。自分も一日一日を大切に積み重ねたいと背筋が伸びる思いだった。

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