2011年12月26日 vol.73
初日の出を眺めよう
雲の向こうから顔を出す太陽。富士山8合目で撮影。2012年は初日の出を拝むことができるでしょうか。(撮影:森田大介)
初日の出に限らず、日の出は神々しい。朝焼けの地平線や水平線から、太陽の縁が顔を出す瞬間、それまで闇が支配していた世界にまるで光が戻るような感動がある。思わず、手を合わせて祈りたくなる。特に2011年は、とんでもない災害に見舞われた年でもあり、来年こそは良い年になるように、と祈りたい気持ちは大きい。初日の出に期待する人も多いだろう。
今年に限ったことではないが、師走の声を聞くと初日の出の時刻に関しての問い合わせが格段に多くなる。国立天文台の広報室でも、問い合わせの多い富士山頂や各地の名所での初日の出の時刻をあらかじめ用意しておき、質問に備えている。それほど初日の出を拝む習慣が、初詣と共に個々人の宗教に余り関わり無く、日本人に広く受け入れられているということなのだろう。ちなみに、現在では暦計算室のホームページ上で、各自好きな場所の初日の出時刻を計算できるようになっているので、試して頂きたい。(国立天文台 暦計算室ホームページは下記参照)
初日の出というのは日本でも最東端の北海道が最も早いと思うかもしれない。夏は、そうなのだが、初日の出はそうではない。冬になると太陽は東南東の方角から昇ってくるため、経度が東であるよりも、東南東に突き出したところの方が早くなる。日本で、もっとも早い初日の出は南鳥島(5時27分)、人がずっと住んでいるところとしては小笠原諸島(6時20分)、本州では富士山頂(6時42分)である。海岸線(平地)に限れば千葉の犬吠崎が6時46分で、北海道の納沙布岬の6時49分よりも早くなる。ちなみに、いちばん遅いのは与那国島(7時32分、数値はいずれも2012年の場合)である。これらの時刻は、1分ほどずれることはあるが、毎年、大きな差は生じない。
ところで、日の出の時刻というのは、天文学的には水平線に太陽の上の縁が接する瞬間と定義されている。逆に日の入りの時刻は、太陽がすっぽりと沈んで、完全に見えなくなる瞬間である。何を当たり前なことを、と思うかもしれない。ところが、この定義が実は大きな混乱を引き起こしてしまっている。そして、それに頭を悩ませた人たちが、毎年決まった時期になると、やはり国立天文台に問い合わせてくるのだ。その時期は、春分の日と秋分の日の前後である。その質問は「どうして昼と夜の時間が同じではないのか?」というものだ。秋分・春分の日というのは、太陽が真東から昇って、真西に沈む。天文学的に言えば、太陽の通り道である黄道と地球の赤道を延長した天の赤道とが交わるところに太陽がさしかかった日である。したがって、単純に考えれば、地球上のどんな場所でも、太陽が顔を出している昼と沈んでいる夜とが同じ長さになるはずである。もちろん日本でもそうである、と考えてしまう。
ところが、事実はそうではない。例えば、2012年の春分の日の東京での日の出は5時45分、日の入りは17時53分。したがって、この日の昼の長さは12時間08分となり、昼が夜よりも16分も長い。新聞などに掲載される日の出入り時刻から、この事実に気がついて、疑問を持つのである。実は、これにはふたつの理由がある。そのひとつが先程述べた太陽の出入りの定義だ。日の出でも、日の入りでも、太陽の上の縁が地平線に接した瞬間だから、昼の時間を日の出から日の入りまでと考えると、その長さは太陽一個分ほど長くなる。もう一つの理由は大気の屈折である。地平線に沈む太陽がしばしばつぶれたお饅頭のように見えることがあるが、これは太陽光線が厚い大気中を通過するときに場所に応じた屈折の具合に差ができるための現象である。実は、太陽は実際には地平線の下にあるはずなのに、いくぶん浮き上がって見えているのだ。この浮き上がりは一般に地平線では1度の半分ほど、つまり太陽一個分に相当する。この浮き上がりを「大気差」と呼んでいるが、そのために日の出と日の入り時、あわせて太陽2個分ほど昼が長くなる。この2つの理由から、春分、秋分ともに昼の方が長くて夜の方が短くなるのだ。単に日の出・日の入りという単純な現象なのにも関わらず、奥が深いと感じてもらえただろうか。そんな奥の深さを知った上で、ぜひ2012年の初日の出を拝んでみてほしい。
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国立天文台天文情報センター 暦計算室
http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/