日本で「宇宙に一番近い」子どもたち
- 子供たちにお話をする園田昭眞(そのだしょうしん)さん。35年前のN-Ⅰロケット打ち上げ時は、ロケットの飛行経路を確かめるため予定経路を描いたスクリーンをかざし「肉眼で」おいかけたそう。当時27歳。「感動して涙が出たよ~」。
- 茎南小学校の子供たち。右端が校長の田中裕一先生。中央が石堂裕司さん、左が長女の夏葵(なつき)ちゃん。宇宙の本に夢中で「惑星に行ってみたい!」後ろは山崎直子飛行士と宇宙を旅した「宇宙アサガオ」。学校で大事に育てている。
日本で「宇宙に一番近い小学校」を知っていますか? 発射台のある種子島宇宙センターから車で約10分。南種子町立茎南(けいなん)小学校だ。グラウンドからロケットの打ち上げが見えるという、最高のロケーションだ。
全校生徒は42名。とっても元気で人懐こく可愛い子供たち。打ち上げ当日、ここ茎南小で前鹿児島宇宙センター所長の園田昭眞さんらのお話があった。
園田さんはちょうど35年前の1975年9月9日、宇宙開発事業団(現JAXA)が実用衛星打ち上げのために開発した日本初の液体燃料ロケット「N-I」発射の日も現場にいたという。「ちょうど今回が50回目の記念すべき打ち上げなんだよ!」と子供たちに熱く語る。
宇宙には詳しい子供たち。「人工衛星はなぜ地球と同じ速さで回るの?」「使わなくなった人工衛星はどうする?」と鋭い質問が次々出る。この日は、全国から集まった1日宇宙記者の子供たちも参加。地元っ子に質問が出た。「打ち上げが失敗したとき、どうでしたか?」
ところが、この質問に茎南小の子たちはぽか~んとしている。ここ数年成功が続きロケット打ち上げ失敗を見たことがないのだ!そこで授業を見ていたお父さんの登場だ。石堂夏葵ちゃんのお父さん、裕司さんは約20年前の日本宇宙少年団(YAC)団員。今は南種子町役場に勤めながら、YAC南種子町宇宙科学分団の事務局長を務めている。「ロケットが失敗するととても残念だし、ロケットを作る人や打ち上げる人、約700人が町に来なくなって、とても静かになってしまいます」と話すと地元っ子も不思議そうに聞いている。
そう、南種子は町をあげて打ち上げ成功を応援している。コンビニにも小さな食堂にも必ずロケットの打ち上げ写真や宇宙飛行士のサインが飾られ、打ち上げ前は「打ち上げ成功を祈る!」という黄色い旗が通りを埋め、成功すると「打ち上げ成功おめでとう!」という赤い旗に即座に入れ替わる。
- 南種子町は、町中でロケット打ち上げを応援
ロケットだけじゃない。晴れていれば毎晩、天の川が広がり流れ星が降り注ぎ、星に手が届きそうなほど、「宇宙との距離が近い」。だから子供たちの瞳は星のように煌いている。
そして自然の宝庫でもある。ハイビスカスにブーゲンビリアなど南国の花が咲き乱れ、青い海に静かに波が打ち寄せる。この波に乗って、遠方の来客がしばしば訪れる。種子島の南端、門倉岬は16世紀に鉄砲が伝来したことで有名だし、19世紀にはイギリスの船が漂流し、村人の手厚い世話のお礼に食用の鶏をおいていった(インギー鶏)。地元の宝満神社で育てられている赤米も黒潮に乗って南方から伝わったと言われている。
昔ながらの自然を大事にしつつ、新しいものを受け入れ、未来に向かう島なのだ。