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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

4400人が殺到の閉鎖実験—経験者が語るストレスとは?

2015年後半は宇宙の話題満載でしたね。特に年末、大きなインパクトがあったのは、2週間のJAXA缶詰実験の被験者募集に、数日間で応募者2000人以上が殺到!というニュースでした。(最終的に応募者は4400人を超えたそう)しかしこの実験、そもそも何故やるのか。どんな人を面接で採ろうとし、実際何をするのか、なぜ女性は参加できないのか(募集は男性オンリー)、ご存知ですか?12月24日にJAXAで行われた記者説明会から、解説しましょう。

そもそも、なぜやるの?—古川飛行士の宇宙経験から

国際宇宙ステーション(ISS)で仕事をする宇宙飛行士は、心身健康なスーパーエリートぞろいだが、それでも肉体や精神にさまざまな影響を受ける。たとえば無重力で生活することで骨密度が減ったり筋力が低下したり。これら肉体的な変化については様々な対策がとられている一方で、精神面のケアはなかなか難しい。実はエリートであるがゆえに。

外界と隔絶された閉鎖空間で、数か月もの間家族と会えないことだけでもストレスなのに、命の危険にさらされる緊急事態が起こった時には大きなストレスに晒される。それなのにストレス対策と言えば、2週間に1回程度の精神心理医との問診だけ。その問診でさえ、我慢強い宇宙飛行士(特に日本人)は、なかなか自分から泣き言や愚痴を言ったりはしない。そもそも、自分のストレス状況を把握していない場合が多々ある。

2011年にISSに長期滞在した古川聡宇宙飛行士は「(ストレスを受けて大変な状況でも)自分では大丈夫と思っていることがある。客観的に測るツールがあれば、ストレス状況を把握することができます」と言う。古川飛行士には、そう語る実体験があったのだ。

閉鎖実験について記者会見で説明する、JAXA古川聡宇宙飛行士。現在は宇宙医学生物学研究グループ長として、訓練と研究に忙しい。常に笑顔の古川さんだが、宇宙では大変なストレス環境にあった。

あまり知られていないが、古川飛行士の宇宙滞在中には、ISS史上初めて「無人」になる危機に晒された。2011年8月末に打ち上げられたプログレス貨物船の打ち上げが「まさかの失敗」。そのロケットは宇宙飛行士を打ち上げるロケットと同タイプだったことから、ISSへの交替用宇宙飛行士の打ち上げが凍結された。最悪のシナリオはISSの無人化。古川飛行士たちは通常の宇宙実験などの作業に加えて、無人化のための準備をこなさなければならなかった。当時、通常6人体制のISSには3人しかいなかった。仕事が次々あり作業はどうしても終わらない。

古川飛行士は自分であまり疲れを感じていなかったそうだが、月に一回行うストレスを自己認識するための(NASAの)コンピュータテストをしたところ、成績が前月末より下がっていたという。テストの結果を見て「自分のストレスを自覚し、気を付けることができた」(書籍「宇宙に出張してきます」古川聡、林公代、毎日新聞科学環境部より)と語っている。

JAXA宇宙飛行士運用技術ユニット長の緒方克彦氏は「ストレス時の疲労はパフォーマンステストである程度測ることはできても、非常に大きなトラウマが発生した時の驚愕反応や不安反応はなかなか速攻で計れない。また非常事態にこそ、ストレスが加わるのに宇宙飛行士は対応に忙しく、カウンセリングする時間がなかなかとれない。初期の反応は特に気づきにくいので、宇宙飛行士同士で、または宇宙飛行士が自分で、簡単に客観的にストレスが多いかどうかわかるようにしたい」という。

つまり、ストレスがかかるような状況こそカウンセリングが必要なのに、その時間がとれず、慢性的な疲労に陥りやすくなる。まずはストレスを受けていることを初期の段階で自分も周りも把握することが重要。そのためにストレスを測る客観的な指標「ストレスマーカー」を決定することが実験の目的だ。

ストレスマーカーの使い方はこんなイメージだ。たとえばコマンダーが調子の悪そうな宇宙飛行士に「疲れているようだから、検査してみて」と検査を促す。キットで唾液やおしっこを使ってストレス度を測ってみると「気づかなかったけどストレス受けてるね。ちょっと休暇をとろうか」と本人も周りも確認しあう。できるだけ簡便なストレスマーカーと計測機器の開発をめざしているそうだ。

宇宙滞在時の古川飛行士。窓の外には広大な宇宙空間が広がるが、簡単に外には出られない閉鎖空間で同じ仲間と長期間暮らす。トラブルが起こった際のストレスは、本人も気づかないが慢性化すると大変なことになる。(提供:NASA)

何をするの?—選抜試験+100項目近い測定

実験は8人の成人男性で2月5日から2週間(13泊14日)行われる。場所は茨城県つくば市のJAXA筑波宇宙センター内にある閉鎖環境適応訓練設備。大きさはバス2台分ぐらいでそれほど狭くはない。宇宙飛行士選抜試験で最終選抜にも使われた施設だが、その時は1週間。2週間の閉鎖実験は初めてだ。

施設内には5台のテレビカメラがあり、別室から24時間監視される。外出はできないしスマホや携帯は持ち込めず、情報は制限される。食事は宇宙食をイメージした保存食中心、そして様々な作業でストレスが与えられる。作業にはグループ課題と個人課題があり、グループ課題では討論や、ロボット作成。個人課題では折り紙を折るような単純作業やパソコンを使った作業課題。「このあたりは宇宙飛行士の選抜試験と似たようなものです」と古川さん。しかし「この実験に参加することと将来の宇宙飛行士選抜とはまったく無関係」らしい。

そして重要なのが100項目近い測定項目。被験者がどの程度ストレスを受けているかをどんな手法を使えば客観的に、しかも簡単に測ることができるのかを絞りこむのが、閉鎖実験の狙い。たとえば血液、尿、唾液などの生理的な項目はもちろん、パフォーマンステスト、ユニークなのは音声や表情などが測定項目にあげられていること。航空事故調査でも音声の周波数やトーンなどの変化が本人の心情的・情動的内容を表す指標として使われているらしい。

JAXA筑波宇宙センターにはる閉鎖環境適応訓練施設。バス2台分の広さがあり、狭くはないが中に入ると外からドアが閉められ、外に出られない。(提供:JAXA)

過去の実験参加者が感じたストレスは?

実験は2015年度に1回、2016年度に最大3回を予定。(だから今回選ばれなくてもチャンスはある!)。被験者について緒方医師は「病気を持っている人、たとえば毎日薬を飲む人や血圧が高い人は難しいと思います。ストレス耐性がとても弱い人、逆に強い人も考慮の対象になる」と語る。つまりストレスに強すぎる人は、難しいかもしれない。4400人越えの応募者から書類選考、アンケートで16人に絞り込み、面接、健康診断で8人(+バックアップの一人)の被験者を選ぶそう。

女性が今回参加できない理由はホルモン周期にあるという。たくさんの生理的な指標をとるが、「女性はホルモン周期の関係でストレスと関係なく指標が上下する可能性があるから」とJAXAは説明する。

実はJAXAの閉鎖実験は1週間単位で2003年から数回行われている。第二回の実験に参加した岡山大学大学院医歯薬学総合研究科 助教の高橋賢さんのブログには当時の様子が詳細につづられている(欄外参照)。

高橋さんは8歳の頃に読んだ本で宇宙に憧れ、毛利衛さんの宇宙飛行を見て、 自分も宇宙開発に関わりたいと思うようになったそう。閉鎖実験では 「毎日昼食後に2時間行われる『精神的負荷作業』は、とにかくツラい。単調な繰り返し作業を延々と行なわせ、被験者に意図的に精神的ストレスを与える」とブログに書いている。しかし、実験を完遂させようという目的意識が強かったので、他の作業はストレスに感じなかったそうだ。「ただ、私の場合は1週間の閉鎖期間でしたが、長くなるにつれ行動の制限や監視はストレスになると思われます」とのこと。「(閉鎖施設から)外に出て真っ先に行ったのが、「太陽」を見ること。この日はすばらしい夕日を見ることができ、心が洗われる思いがした。しばらくの間は、テレビや階段や外の人々など、日常生活では当たり前の物事にいちいち感動し、当たり前の物事がどれだけありがたいものかを実感たのだった」と綴っている。

私も2003年1月に行われた閉鎖実験最終日に取材させて頂いたが、当時は「非常にモチベーションの高い」3人の被験者が500ピースのジグソーパズルに和気藹々と取り組んでいた。今回は2週間で8人。いったいどんな実験結果が得られるのだろうか。 ストレスを感じない人などこの世にいない。宇宙飛行士だって例外ではない。どんなストレスマーカーや計測キットが開発されるのか、宇宙と言わず、地上でも使ってみたい気がしますよね。

2003年1月に行われた閉鎖実験。コントロールルームからモニターで被験者の様子を観察するJAXA井上夏彦さん(記事は欄外あわせて読みたい!参照)