はなまつり花まつり
南から北へと旅するように桜の花は開いていきます。
関東地方では3月から4月。北海道までたどり着くのは5月ですから、初めから終わりまでは長い長い旅路です。
明るく可愛らしい春の花々が足元を照らすように賑やかに華やぎはじめるのはその桜が散る頃。
桜の木を仰ぎ暮らす日々との別れも近づいてひと段落する頃になります。
夜の月もぼんやりとした朧月になり、百花繚乱、春爛漫の日々へと続いてまいります。
そんな最中、4月8日に訪れるのが花まつりです。
灌仏会、降誕会、仏生会、卯月八日などと全国各地でさまざまな呼び名が見られ、他の行事と同じく、様々な習わしがあります。
仏教の行事として行うところは、お釈迦様の誕生を祝う日。
お釈迦様が悟りを開いたことを祝う「成道会」や、この世を離れた日に思いを馳せる「涅槃会」などと並ぶ、仏教の三大行事になります。
その一方で、灌仏会や花まつりという名前がついていても明らかに仏教とはあまり関係がないように見える習わしもあります。
たとえば空に高く掲げる「天道花」。時節の花を束にして竹に結び、天道花の名前の通り太陽へのお供物、あるいはご先祖様へのお供物とするところがあります。
その家に代々伝わる習わしがあれば、それを大事に引き継いでいく、そういう喜びもあれば、長い時代に渡って行われてきた
多様でさまざまな習わしの意味を紐解き、自分で考え工夫しながら楽しむこともできます。
お供えの仕方や、飾り物のかたち、その意味などをじっくり眺めてみると人々がどんなことに目を向けてどんなことを大事にしていたのかが伝わってまいります。
道端に咲いて、出会うと心をふんわりほぐす春の花のように、時に一筋の光のように。
現代に生きる私たちの足元をそっと照らしてくれる時があります。
花の傘
光に透ける鮮やかな紅色を浴びて色の力が降り注ぐ中、傘をゆっくりと開く。小手鞠、桜、椿など時節の草花が持つ華やぎを手にうけとめながら番傘の頂にしつらう。
桜など、春の花が散るに合わせて疫病が流行ると考えた古の人々は災いや病いをもたらす神の力を抑えるためにやすらい祭り、鎮花祭などと呼ばれる祭りを行ってきた。
そうした祭りの習わしの一つが「花傘」。
祭りでは時節の花や若松、柳などをさした大きな花傘を拵える。
その傘の下に入ることで、身についた疫神を除き、厄を祓うことができるという。
数々の迷いを解き放ちあたたかに歩く強さが生まれ出る、力のある花傘となりますように。
花御堂
お釈迦様の誕生を祝うための習わしの一つ、花御堂。
誕生仏を据え、天井には山のごとく、こんもりと季節の草花を盛り入れしつらう。
お寺などでは、置いた誕生仏にひしゃくで甘茶をかけながら祈りを捧ぐ習わしがあるところも。
これはお釈迦様が生まれた時、天から香水が降り注いだという伝説から生まれた習わしだが、花御堂を山のように仕立てるのは山には神聖なものが宿るという信仰が日本にあるからだという説が。
草花には、樒、シャガ、椿、小手鞠、接骨木、山桜、雪柳など。
花だけでなく、葉の輝きを合わせて静かに華やかに。
誕生仏
花御堂の誕生仏に勢いよく芽吹いた新芽を添えて。
誕生仏は天と地をさししめしている。
花とともにさまざまなものが芽吹いて、若緑色に染まりゆく春の景色。
胸に吸い込む空気まで新緑の香りがするような気がしたら、初夏はすぐそばに。
遠い外国から渡ってきた信仰、仏教もその国の文化に馴染むように染まり、それぞれに変化する。
杉懐敷の花供物
杉懐敷から漂うよい香り。
薄くとも宿る木の力をありがたくいただきながら、杉懐敷に白椿、桃、桜の花などを盛り、花供物に。
水に入れる花生けと花供物が違うのはその時限りの花だということ。霧吹きをしてもしばらくすると花供物は直にしおれてしまう。その日、その時限り、花のいのちをいただいて祈りとともに捧ぐ。目に見えないもののために捧ぐ花である。
インドネシア、バリ島を訪れた時から忘れることのできない日々の花供物、チャナンを思い出しながら花を合わせる。
人として生まれた以上、だれもが持つ心、祈りに思いを巡らせながら。
しつらいと文/広田千悦子 写真/広田行正
2023.04.03