和食シリーズ企画第4弾 日本人の食卓―100年の歩みを辿る和食シリーズ企画第4弾 日本人の食卓―100年の歩みを辿る

#09 ― 三菱冷蔵庫のはじまり篇

「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録されてから数年が経ちます。
「このままでは衰退する可能性がある食文化」とされた和食は、あれから歩みを前へと進めることができたのでしょうか。
2021年に創立100周年を迎えた三菱電機は、日本の暮らしとともに歩み続けてきました。
これからも家電メーカーとして日本の食文化に寄り添っていくために、
この100年間の日本人の食卓、そして家電の歩みを振り返り、次なる100年を考えていきます。

和食シリーズ企画第4弾「日本人の食卓 - 100年の歩みを辿る」。前回に続き、今回のテーマも冷蔵庫です。日本国内において電気冷蔵庫が普及したのは、前回の東京五輪前、高度経済成長当時でした。しかし三菱電機は1933(昭和8)年から電気冷蔵庫の生産販売を始めていたのです。今回は、そんな三菱冷蔵庫の始まりの物語をお届けします。

静岡製作所ショールーム

80年以上前に誕生した三菱冷蔵庫

明治時代に「氷箱」という形で国内に登場した冷蔵庫は、大正から昭和初期にかけて電気やガスなどのエネルギーを利用する製品へとその形を変えていきました。もっとも電気冷蔵庫と言えば、高価な海外製の製品がほとんどで、とても庶民に手が届くようなものではありませんでした。どれくらい高額かというと、当時の総理大臣の月給よりも高かったと言われるほどでした。

三菱電機が電気冷蔵庫を開発したのはそんな昭和のはじめ、1933(昭和8)年のことでした。国内の大手メーカーによる開発合戦の様相を呈するなか、当時の三菱電機神戸製作所において生産・販売が開始されました。しかしその後、時局の悪化もあり、戦前に生産中止を余儀なくされてしまいます。

1945(昭和20)年に第二次世界大戦が終わると、家電製品の生産にかすかな光が差し込んできます。終戦直後に建設されたワシントンハイツ(※)など、進駐軍向けの住宅が建設されるようになり、家電に対する需要が増えていったのです。当時の駐留米軍の数はおよそ20万人。1946(昭和21)年には発注があり、当時の米軍関係者向けに家電が生産されるようになったのです。

昭和21年、現在の代々木公園あたりに建設された、進駐軍とその家族向けの居住地。827戸の住宅に学校、教会、劇場、商店などが設けられた。その敷地は、現在の代々木公園、国立代々木競技場、国立オリンピック記念青少年総合センター、NHK放送センターなどを含む、92.4万平方メートルに及んだ。

その後、1952(昭和27)年、日本が主権を回復するサンフランシスコ講和条約が発効した頃から国内向けの家電需要も増大していきます。折しも1953(昭和28)年は「家庭電化元年」とも言われる年で、2月にNHKの本放送が開始され、8月には初の民放である日本テレビも開局します。

設立した当時の静岡工場(現在の静岡製作所)

そんな1954(昭和29)年、三菱電機にとって一大生産拠点になる、静岡工場が設立されました。いまだ国内に冷蔵庫需要がほとんどない頃に、設立年には2,500台を売り上げました。「たった2,500台?」と思われるかもしれませんが、国内における冷蔵庫の年間販売台数は、まだ1万数千台という時代でした。

翌年から始まった神武景気や岩戸景気もあり、その後の販売台数は飛躍的に伸びました。3年後の1957(昭和32)年にはコンベヤーシステムによる量産体制を調え、販売台数1万台を達成。1959(昭和34)年には業界初の「殺菌灯付冷蔵庫」などの新機能を次々と打ち出し、6万8000台という驚異的な伸びを記録したのです。

当時、国内の衛生環境はいまとは比べ物になりませんでした。1955(昭和30)年には国内における1年間で食中毒患者6万4000人以上、死者450人超という最悪の食中毒禍が起きています。1960年代に入っても、食中毒への対策が社会的課題なのは変わらず、当時の厚生省の食品衛生課長も「潜在的な家庭内での食中毒は六十万人にも上るだろう」と朝日新聞(1963(昭和38)年4月29日付)紙上で述べています。

そんな時代からの要請もあり、殺菌灯機能は長らく、三菱冷蔵庫の最大のメリットとして好評を得てきました。

その後も「冷却能力」「殺菌装置」「自動霜取り装置」といった機能面の充実をはかり、販売台数は右肩上がり。冷蔵庫は「作れば作っただけ売れる」という時代でした。

「数」と「品質」の両輪へ

冷蔵庫はいわゆる「耐久消費財」と言われる分野の製品です。新しい製品は世の中に「機能」で受け入れられ、「品質」を保つことで耐久消費財として信頼を獲得していきます。

1960年代に三菱電機が取り組んだのは、意識の向上と仕組みの整備でした。内部管理体制を強化するために職制を改正し、品質管理専門部署を設置しました。生産に協力してくれる民間の工場に対しては「協力工場技術指導委員会」などを設置して技術指導にも力を入れ、新規従業員に対する技術や作業の指導にも向き合いました。

当時の工場の様子

「作業標準の確立」という概念や「品質チェックシート」が導入されたのもこの頃です。工程ごとにプロセスチェックを行うチェックマンが配置されるようになり、開発部門では設計の段階から新たな基準が設けられるようになりました。

設計・開発から生産工程まで、世に冷蔵庫を送り出すために必要なすべての工程で体制が強化されたのです。

大ヒット商品「フレッシュみどり」の登場

結局のところ、メーカーという企業の姿勢を体現するのは製品です。まず「機能」が受け入れられ、「品質」に対する「信頼」がメーカーと生活者の結びつきを強固につなげていきます。

冷蔵庫というジャンルで言えば、技術者は常に冷却機能を見直し続けていました。21世紀の現代では、家庭用冷蔵庫の多くは霜取りが不要ですが、高度成長期の頃の冷凍室は定期的に手作業での霜取りが必要でした。

冷却器に霜がつくと収納スペースが狭くなるばかりか冷却能力が低下し、「冷えなくなる」という問題が発生してしまいます。いかに霜を発生させず、発生した霜を除去するかが品質向上のための大きなポイントとなっていたのです。

そこで、開発部門が採用したのは「ファン」でした。従来、直冷式だった冷凍室の冷却器にファンをつけることで課題を解決。霜発生の大幅な抑制を実現しました。

そうした数々の技術革新を経て、1977年(昭和52年)に霜対策やデザインを大きく変えた「Newみどり」を発売。そして1978年(昭和53年)、「扉を開ければ違いが見える」というフレーズで登場した「フレッシュみどり」が大ヒット商品となるのです。

当時としては超大型とも言える233リットルという庫内スペースを確保しただけでなく、使いやすさを大切にした工夫が凝らされました。ドアポケットや内部の仕切りにも折りたたみ機能などがついて自在にレイアウトできるようになりました。冷蔵室内には肉・魚や、野菜専用室も配され、現在の冷蔵庫の基本となる形が確立されたのです。

三菱冷蔵庫「フレッシュみどり」

この「フレッシュみどり」のヒットにより、販売台数も急増します。1975年(昭和50年)に17万5000台だったのが、その後の数年で36万1000台と倍増。普及率ほぼ100%の耐久消費財市場において、驚異的成長を遂げたのです。

その後、現在に至るまで三菱冷蔵庫は「おいしい冷蔵庫」であるべく、様々な試行錯誤と技術開発を重ねてきました。

長年に渡る、冷蔵庫への思いが製品という形になり、近年では解凍の手間を省いてすぐに使える「切れちゃう瞬冷凍A.I.」やチルド室をさらに進化させた「氷点下ストッカーD」、野菜のみずみずしく新鮮なおいしさを保つ「クリーン朝どれ野菜室」といった、ご好評をいただく機能もますます充実。三菱電機の冷蔵庫は、これからもさらなるおいしさと使いやすさを追求していきます。

三菱冷蔵庫新製品情報

野菜室が真ん中で
出し入れしやすく見わたしやすい、
MXシリーズ

MR-MX57E-ZT

おすすめポイント1
野菜室が真ん中だから、腰や膝をかがめず野菜の出し入れ簡単。クリーントレイ搭載で、掃除もしやすい。
おすすめポイント2
三菱だけの「切れちゃう瞬冷凍A.I.」で、冷凍なのにおいしく自動で瞬冷凍。しかも、解凍いらずですぐ調理できるから、時短が叶う!
おすすめポイント3
「氷点下ストッカーD」搭載で、肉や魚を冷凍しないで長~くストック。生だから調理もラク。まとめ買いにもおすすめ!

解凍の手間を省く機能の
使い分けでパパッと時短調理、
WXシリーズ

MR-WX60E-W

おすすめポイント1
三菱だけの「切れちゃう瞬冷凍A.I.」で、冷凍なのにおいしく自動で瞬冷凍。しかも、解凍いらずですぐ調理できるから、時短が叶う!
おすすめポイント2
「氷点下ストッカーD」搭載で、肉や魚を冷凍しないで長~くストック。生だから調理もラク。まとめ買いもおすすめ!
おすすめポイント3
たっぷり収納できる冷凍室と解凍の手間を省く2つの部屋が取り出しやすい高さにあるから、調理がはかどる。かしこく使い分ければ、毎日の調理がもっと時短に。
三菱冷蔵庫について
詳しくはこちら

「地球に優しい技術でお客様に快適を提供すること」を掲げる静岡製作所が、
品質をなによりも重視して製品開発を重ね、日本の食卓を支えることを使命として開発してきた三菱冷蔵庫。
これからも、より豊かな食生活の一助となるべく、皆様のご期待に沿えるような製品づくりを目指します。
次回は、戦後を境に、大きく様変わりしていった“昭和の食卓”にスポットを当てます。

2019.07.18

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