私の台所
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第九回つまみの名作を生む、小さな台所銀座バー『ロックフィッシュ』店主・間口一就さん

いきいきとした素材をおいしい食事に変える台所。そんな魔法のようなスペースを、食や料理にまつわるプロフェッショナルはどうデザインし、
どんな風に使っているのでしょう。そこにある道具や収納、使い方は……?さまざまなプロフェッショナルの台所を巡ります。

Profile

間口一就さん
1969年愛媛県南宇和生まれ。大学生当時、大阪の名バー「サンボア」にアルバイトとして入店。2000年、大阪の北浜でバー「ロックフィッシュ」を開店させる。いったんのれんを畳むことになるが、2002年東京・銀座に場所を移して再び「ロックフィッシュ」をオープンさせ、ハイボールとつまみの旨いバーとして人気を博す。著書に『バーの主人がこっそり教える味なつまみ』(柴田書店)、『缶つまデラックス』(世界文化社)など。

銀座にバーの軒を掲げて気づけば20年以上。店主である間口一就さんの独創的なつまみが客の心をつかみ、看板のハイボールが飛ぶように売れる銀座のバー「ロックフィッシュ」。間口さんが生まれ育ったのは、愛媛県の南宇和。豊後水道に面した海と山の恵みが豊富な地域だった。

「実家の家族構成は父と母、僕と弟の4人で、食卓に上ったのは愛媛の海の魚――カツオやタイの他、地魚も食卓によく上りましたね。料理上手だった母は、グラタンやスコッチエッグ、ステーキといった洋食もよく作ってくれました。加えて父も魚をさばくのが得意でね。庭の池の片隅にビクが浮いていて、夏になると鰻を一本すくって、五寸釘で目打ちをしてさばいて蒲焼きにしていたし、土日には当時まだ知られていないハラミを精肉店で1本買ってきて、庭で焼肉をやっていました」

「いま考えるとあまり普通じゃないですね(笑)」と振り返る間口さんは、愛媛の山海の珍味の英才教育を受けたが、実家にいた中高生までの頃、自分で料理をすることはなかったという。

「料理には興味があったけど知識専門で。高校の頃から雑誌『nonno』別冊の『お料理百科』や『おかず百科』なんかを読むようになったんです」

大学に進み、大阪で一人暮らしを始めても料理への探究心は深まるばかり。毎月購入する愛読書は主婦雑誌。誌面を切り抜いてスクラップを始めたら、食材の旬が1年というサイクルで、季節が巡ることを知った。

さらに都会でコンビニや外食を覚えたことで、様々な食材と料理が頭のなかに充填された。大阪・北浜にあるバーの名店「サンボア」でアルバイトをしながら、間口さんはカウンター内でつまみをつくり始める。

「それまで、バーに〝調理場〟という発想はなかったんです。当時のトラディショナルなバーのつまみって、ナッツやチョコレートにチーズ、オイルサーディンの缶詰など、ありものをそのまま出していたんです。でも飲食店なのに、半製品をそのまま出すというのが恥ずかしくて、僕は『カマンベールとリンゴ』みたいなイキッたメニューを勝手に作っていましたね(笑)」

愛媛で過ごした10代には舌の骨格はできていた。20歳の頃には料理の知識を詰め込み、20代を過ごした大阪で世の中の味を知り、実践を通じて味の幅を得た30代でいよいよ「ロックフィッシュ」をオープンした。

「当時はこの台所でよく仕込みをしていました。狭いバーカウンターでは本格的な調理は難しい。ここで仕上げ直前まで作ったものを店のカウンターで仕上げる。店の狭いカウンターに1口コンロとトーストが4枚焼けるトースターを入れて、加熱調理は同時進行でいくつも作れるように工夫しました」

現在のロックフィッシュでは、つまみの注文が重なると2口コンロと4枚トースター2台がフル稼働する。つまみにはクラシカルな乾き物もあるが、間口さんのオリジナル(ナッツ)ブレンドの最新作は「炒り黒豆と割れ貝柱と切り昆布とジャコのミックスナッツ風」という深い旨味の逸品だ。

看板のサンドイッチには無限のバリエーションがあるが、間口さんのカットは三角や4つ割ではない。縦に4等分に細長く切る。この台所から生まれるのは、あくまでバーのつまみ。片手でつまんで大きな口を開けずとも楽しめる。そういう味のアイデアを生むのが、この簡素な台所なのだ。

「僕にとって家の台所はおつまみ基地であり研究所です。でも、一般家庭でも2口あれば4人家族の食事の準備は十分できます。例えば鍋で加熱する料理、火から下ろした後に味が染みる料理、加熱しない料理や魚焼きグリルでできる料理もありますから。制約があることで、必要な工程や手数が整理されるという側面もあります」

ただむやみに目新しい道具や機能を増やせばいいわけではない。素材や調理の理(ことわり)を学び続け、珠玉の一皿を待つ、食べ手の気持ちを深く掘り下げる。結局のところ、食卓を豊かにするのは、食べる人のことを考え抜く、台所の主の心ひとつなのだ。

文具のはさみ
炒った黒豆にサイズを合わせてカットした干し貝柱と昆布とジャコを「合わせただけ」の乾き物ミックスおつまみ。キッチンバサミよりも文具向けのはさみのほうが細かい作業もできる上、切れ味もいい。もちろん消毒して使う。
温度計
「飲食店で一番困るのは生焼け」。加熱するレシピを開発しているときは、必ず仕上がりの温度も計測する。「85℃あれば、だいたい大丈夫」だそう。
スケール
「一番大事」だと間口さんが考えるアイテム。基準となる調味料はきっちり計量。とにかく測る。ロックフィッシュのハイボールもウイスキーが60mlに、炭酸一本190mlと決めている。

家電のデザイナーが
プロの台所から学んだこと

三菱電機統合デザイン研究所松下香楠
普段からゲストを呼ぶことが多いという間口さんのキッチンは、実家のような安心感がある、誰にも使いやすく気安いシェフとゲストの双方にフレンドリーな空間でした。必要最小限のキッチンツールは、一見何の変哲もないように見えますが、端々に転がる違和感に目を凝らすと、一般的な常識に捉われない合理的な道具選びの工夫があります。次々に調理されていくお料理もまた、斬新な食材の掛け合わせとホっとする味を両立していて、食べる人への思いやりで溢れていました。常識に捉われずに本質を追求する間口さんの姿勢に刺激を受け、デザインを追求する私たちもまた、柔軟な追求者でありたいと感じました。

構成・文/松浦達也 撮影/吉澤健太
2024.09.02