私の台所
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第十一回台所を切り盛りするのは、僕の役割じゃありません肉料理店『肉山』オーナー・光山英明さん

いきいきとした素材をおいしい食事に変える台所。そんな魔法のようなスペースを、食や料理にまつわるプロフェッショナルはどうデザインし、
どんな風に使っているのでしょう。そこにある道具や収納、使い方は……?さまざまなプロフェッショナルの台所を巡ります。

Profile

光山英明さん
1970年大阪府生まれ。「肉山」オーナー。3人兄弟の末っ子。兄ふたりとともに小学生当時から硬式野球を始める。高校の野球部では主将をつとめ、甲子園にも出場。いまもニックネームは「キャプテン」。フランチャイズやプロデュースを手掛けた店は数十以上。近年では飲食店の創業支援等にも力を注ぐ。

小さな頃からおいしいものに囲まれていた。生家での朝ごはんのおかずは料理上手な母親が作る身の厚い太刀魚、夜は牛が刻印された鉄板でじゅうじゅうという音とともにステーキを頬張った。家の食卓には、おいしい料理がいつも並び、週末には屋上に七輪を持ち出して骨付きカルビを焼いた。

吉祥寺の名肉店「肉山」オーナー、光山英明さん。高校時代、甲子園常連校である上宮高校の野球部で主将を務めて以来、「キャプテン」と呼ばれるようになった。高校時代には朝食と夕食のほか、毎日「A4サイズの弁当箱を4つ」持たせてもらい、夕方の練習前にはすべて平らげ、練習終わりには後輩を連れ帰って、母親に夕食を振る舞ってもらった。

そんな光山さんには家の台所について、ひとつの信条がある。

「実家で台所を切り盛りする母親を見ていたからか、家の台所を切り盛りするのは僕の役割じゃないな、と思っているんです」

22年前、当時32歳だった光山さんは勤めていた大阪の卸酒問屋を退職して上京。大学時代に寮生活を過ごした吉祥寺に移り住んだ。「当時、町の先輩方によくしてもらったような」人が集う飲食店を目指してホルモン酒場を開店させた。炊飯さえもままならないのに、だ。

「オープン日、大阪で飲食店をやっていた上の兄貴がお祝いで予約で満席にしてくれて、しかも開店準備まで手伝ってくれていたんですが、開店前に『おい、アキ!そろそろコメ炊いとけよ』って言われて『あれっ?コメってどうやって炊くんやっけ?』ってなってしまって。開店日なのに兄貴に『お、お前、いまそこ?』って呆れられました。わはははは!」

料理の経験はほとんどなかった。初めて借りた家賃6万5000円のアパートの台所には、「蚊取り線香みたいな」電熱コンロが一口あるだけ。ホルモン酒場のカウンターに立ちながら炊飯や肉の扱い方など、ひとつずつ調理を覚えていった。

2012年の「肉山」開店時にも友人のシェフに肉の焼き方を教えてもらい、営業後の店に居残って自主練習を続けたが、家では特に料理はしなかった。近場で何度か引っ越しをして、台所の顔つきは変わっても家の台所は奥様のものだと考えている。

「いまも僕は家ではほとんど料理をしないし、冷蔵庫に何が入っているかもあまりわかっていません。わかるのは、塊肉と卵とキムチ、あとは氷くらい。」と笑う光山さんが家で「少しでも料理っぽいこと」をするのは、自分のための食事を作るときと親しい人を招くときくらい。

「この2年くらい食生活の改善に取り組んでいて、朝はサバの水煮缶とキムチをフライパンで炊いて卵を落としたもの。あと、冷凍したごはん100gをせいろで蒸しています」

人を招くときは、外のテラスに七輪を持ち出しての焼肉が多い。大好きな「九条ネギとポン酢」をタレ代わりにひたすら肩ロースを焼いては頬張り、食べては炙る。キムチは生家近くの鶴橋のひいきにしている店でまとめ買い。肉は店で取引のある相手からあか牛の肩ロース肉を塊で送ってもらい、自分で切り分ける。

「人を招くときには、たいてい肉と九条ネギを台所で切り続けています。そうしょっちゅうはやらないですよ。片づけてくれる妻の負担も大きいですしね。料理人がメンバーにいるときは来たときよりもきれいにして帰ってくれるけど、それもゲストそれぞれの流儀です。僕が僕の好きな人を招いて来てもらっているのに、あれこれやらせるのは僕の信条に合わないんです」

流儀や信条とは表面上のスタイルだけを指すのではない。それは人が友人や家族と心地よく関わるための自分との約束ごとでもある。そんな光山さんの姿勢は人と台所とのいい関係にも通じている。

蒸籠
朝食は100gずつにわけて冷凍したごはんを中華せいろで蒸す。「蒸したごはん、おいしいですよね。このところ、蒸し料理がどんどん好きになっていて、夏だったらとうもろこしも蒸して食べますね。焼売も大好き」。
ステーキ皿
通っていた店の引退に伴い、おすそ分けしてもらったステーキ皿(3枚)。「いつも450gのステーキを食べていたんです。これで焼きナポリタン作ったらめちゃくちゃうまいっすよ!」
藻塩
「塩や調味料は僕のお気に入りが、家の定番になっていることも」。塩は肉山まで使っている「海人(あまびと)の藻塩」(広島県呉市上蒲刈島産)が光山家のスタンダード。

家電のデザイナーが
プロの台所から学んだこと

三菱電機統合デザイン研究所奥田勇
掃除の行き届いたシンクや壁、整理された調理道具、そして台所から続く広々とした開放的なテラスまで、光山さん宅の台所は家族や仲間が自然と集まり、食の大切さと喜びを共有できる空間でした。お話を聞いている間も自然と笑みがこぼれてしまう、楽しいお人柄。それでいて折り目正しく人間関係をつむぎながら、「食の場を楽しむ」ことに真摯に向き合う姿勢にたくさんの学びがありました。飲食店経営者としても私人としても「お客様視点」を忘れない。それはデザインにおいても、本質でありながら時として見失ってしまう創造の源泉でもあります。大切なことを見失うことのないよう、まずは「自分が楽しむ」。光山さんとのお話を通して、デザイナーとしての姿勢を改めて見つめ直すことができました。

構成・文/松浦達也 撮影/吉澤健太
2024.11.05