2020年12月22日、つきぢ田村 三代目 田村隆さんが永眠されました。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
- 編集部
- 東京・築地にお店を構える一方で、講演やお料理講習で日本各地を回られるなど、和食文化の普及や伝承にもご活躍されています。
- 田村さん(以下 敬称略)
- 1都1道2府43県すべて訪れましたね。僕はマグロと一緒でね、忙しく動き回ってないと落ち着かない性分なんですよ(笑)。いろんな土地に行って思うのは、郷土それぞれにおいしい食があり、その文化があるということ。醤油ひとつとっても、地域毎に味も蔵もまったく違うんです。同じ小さじ1杯でも、醤油が変われば味も変わる。豆腐一丁の量も地域によって異なります。そうした経験を経て、東京のレシピがそのままでは通用しないことを学びました。と同時に、何より郷土の味を尊重したいという思いが強まった。僕の味は二の次。その土地に親しまれた料理に僕なりのアレンジをし、それが「おいしい」と言われれば料理人冥利に尽きますね。
- 編集部
- 一方で、東京ならではの産物やお料理って何があるでしょう?
- 田村
- うーん。東京って何でもあるけれど、何もないところでもある。たとえば、芝エビはもともと芝浦で捕れたのが名前の由来なんですが、今は三河や有明が産地。深川めしにしても、東京産のアサリなんてもうないでしょ? そもそも江戸時代と違って、都民1300万人のお腹を満たす地産地消なんて到底無理なんです。その代わり、東京には全国からさまざまな名産物が集まってくる。むしろ形や見栄えのいいものは率先して東京に来るから、青森の人が大間のマグロを、静岡の人が鮎を買いに来るのが現状です。そうした貴重な食材に報いるためにも、地方で学んだその土地の食べ方を大切にし、料理に活かすことが大切だと思っています。
- 編集部
- 東京生まれ・東京育ちの田村さんにとって、幼少時の想い出の味とは?
- 田村
- うちは両親とも店に出ていましたからね、家の食卓といえば、お手伝いさんが作ってくれたものを妹とふたりでいただくのが常だった。いわゆる家庭料理っていうものには、あまり縁がなかったですね。ときどきお店で余ったマグロやカニを若い衆が持ってきてくれて、「なんだ今日もマグロかよー」とか生意気言いながら食べてましたよ(笑)。ただ、休日になると家族揃ってホテルやレストランで外食するという楽しみがありましたね。子どもの頃から本物の味を覚えさせたいという親心だったんでしょうが、僕としてはみんなでごはんを食べられること自体が嬉しかったですね。
- 編集部
- 味の英才教育ですね。それが今につながっている。きっと舌の肥えたお子さんだったんでしょうね。
- 田村
- いや、そんなことはないです。なんせ僕の子ども時代の夢は、「コーヒー牛乳で冷蔵庫をいっぱいにする!」でしたから(笑)。好きだったんですよ、銭湯のコーヒー牛乳。それと小学校の頃なんかは夕方になると屋台のおでん屋さんが来てね、30円握って行くんだけど、ここでちくわぶを買うか駄菓子屋のベビーカステラにするかいつも悩んでいた。そんなごく普通の子どもですよ。そういえば、おでんにも地域差はありますね。関西ですじといえば牛すじですが、東京では白身魚のすり身に軟骨を加えて棒状にしたもの。九州に行くと、馬のアキレス腱をすじと呼んだりします。また関西ではおでんのことを「関東炊き」というように、もともとは江戸が発祥なんですよ。
- 編集部
- 時代が変わり、食材の産地が異なっても、江戸の郷土料理は今に息づいているんですね。
- 田村
- 郷土料理っていうのは、伝承料理。基本は祖母から母へ、母から子へ受け継がれていくもの。そういう意味では、女房の味こそがわが家の郷土料理といえるかもしれません。何のことはない家庭料理ですが、これがなかなかにうまい。僕の仕事はおいしいものを作ることだけど、女房が作るのは日常の食卓。だから毎日食べても飽きない。うちの娘に言わせると、「パパの料理はしつこい」んだそうです(笑)。祖父(創業者の故・田村平治氏)も「若女将の料理は本当にうまいな」といつも言っていました。
- 編集部
- 家庭の味がいちばん、ということですね。
- 田村
- 家庭料理が家族を想う気持ちから生まれるように、郷土料理も郷土愛あってこそ。生まれ育った土地の味覚や産物がいちばんおいしいんです。名水百選なんていうけど、地元の人にとっては自分のところの水こそが日本一。慣れ親しんだその水で作る味噌汁は、どこよりもうまい。そう考えると、もっとも身近な郷土料理は味噌汁かもしれませんね。どこの家でもレシピではなく家族の舌を頼りに味を調え、子どもたちもその味を覚えて育っていく。それが家庭の、そして郷土の味として継承されていくんじゃないでしょうか。
つきぢ田村 三代目田村 隆さん
1957年、東京・築地の「つきぢ田村」の長男として誕生。80年玉川大学文学部英米文学科を卒業後、大阪の「高麗橋吉兆」に入門。3年間の修業の後、つきぢ田村へ。日本各地の食材を用いて「五味調和」のおもてなしをする一方、NHK「きょうの料理」などの番組や料理学校の講師、料理本の出版など、食の伝承にも力を注ぐ。2010年「現代の名工」厚生労働大臣賞受賞。著書に『隠し包丁』『返し包丁』(ともに白水社)など多数。