Vol.29
生命にとって水は必要か?
地球上の生命は、どんな生物であろうが、液体の水を必要とする。
果たして、地球以外の生命も—もし存在するなら—同様に液体の水を必要とするだろうか。
液体は便利なもので、生命に必要な物質を溶かし込み、蒸発などでその物質を濃縮させ、代謝などの化学反応を引き起こすことができる。空気のような気体では物質は拡散して薄まってしまい、岩石のような固体では物質は固定されて動きにくい。
生命活動とはある種の化学反応である以上、地球に限らず宇宙においても、液体の存在は生命にとって共通に重要な要素と考えてもよいかもしれない。
しかし、その液体は水素原子と酸素原子からなる“水(H2O)”である必要があるのだろうか。
僕は、直感的に、必ずしも水(H2O)でなくてもよいのではないかと考えている。
太陽系には、水以外の液体が存在する天体がある。それは、土星の衛星タイタンである。タイタンには厚い大気があり、地表には液体のメタンの海や川が存在している。タイタンに生命が見つかれば、生命は水(H2O)を必要とするという地球の常識が塗り替えられることになるだろう。
一方で、惑星の持つ液体の量についてはどうであろうか。
僕らのように陸上に生きる生命も、元を正せばその祖先は海で暮らしていた。地球史のほとんどの時間を、生命は母なる海で過ごしてきた。
生命を育むためには、惑星は海のように豊富な量の液体を持つ必要があるのだろうか。生命を育む惑星に必要な液体の量は、どのくらい少なくてもよいのだろう。
僕ら科学者は、こういったことを日常的に考えているわけではないのだが、ふとした瞬間にこのような疑問が頭を占めることがある。僕にとって、そのような瞬間とは、日常から離れた旅の空の下であることが多い。
3年半ほど前、僕は合計30時間も飛行機を乗り継ぎながら、液体と生命についてあれこれ考えていた。地球の裏側にある南米チリ、アントファガスタという街へ向かっていたのである。
地球の上の火星
アントファガスタは、チリの北部、アタカマ砂漠内に位置する太平洋に面した港町である。
17世紀の大航海時代に起源をもつ街であるが、街並みは歴史情緒を感じるというよりは、新興地方都市のように整然としている。いくつものビルが建ち、ビーチがにぎわい、大型ショッピングモールもある。
アントファガスタは、地球上で最も乾燥した街の1つである。
海に面しているが、降水はほとんどない。年間降水量が3ミリというのだから、霧雨のような雨が1年の内に2日降るかどうかという気候である。
僕らが目指しているのは、アントファガスタから内陸、さらにもっと乾燥したアタカマ砂漠の真ん中である。そこは100年以上も降水がない、地球上で最も乾燥した場所である。
アントファガスタの街から出ると、四駆車から見える風景には途端に生命の気配が感じられなくなる。以前訪れたモンゴルも乾燥した場所だが、それでも下草くらいは生えて、野生動物が暮らしていた(参照:第16回コラム「モンゴル宇宙紀行I」)。アタカマ砂漠には草も見当たらない。見渡す限りの荒野である。
車のなかで現地の共同研究者が“まさに地球の上の火星だよ”といった。
確かにそうかもしれない。見える風景は、火星のそれそのものである。
アタカマ砂漠の塩
僕らが目指しているのは、アタカマ砂漠にある“塩”を含む地層である。
チリは、ナスカプレートと南アメリカプレートと呼ばれるプレートがぶつかり合う境界にある。ナスカプレートは海洋プレートで、この海底に堆積した砂の地層が一部、大陸である南アメリカプレートに乗り上げていて、美しい地層の縞々を見ることができる。
砂の地層は、乗り上げる際の力によって大小様々にひび割れているが、その断層の隙間を塩が埋めている。まれに降る雨が砂の地層にしみ込み、地層中の塩分を溶かし込んで、断層の割れ目から蒸発して塩だけが割れ目に残されたのだろうか。
割れ目を埋める塩は、食塩のようなナトリウムの塩もあれば、マグネシウムや硫酸を含む塩もある。
海底にあった砂の地層が陸上に乗り上げていることは珍しいことではなく、日本でもよく見られる。しかし、その断層の割れ目を塩がみっちりと埋めているのは、乾燥したアタカマ砂漠ならではの光景である。
また、別の場所では、完全に干からびた塩湖も見ることができる。
これもまれに降る雨が、くぼ地に溜まって湖を作り、この湖が蒸発する際に塩分だけが残されたのであろう。平らなそのくぼ地には、薄く塩が敷き詰められている。
僕らは、アタカマ砂漠にあるこのような塩の地層を目指して車を走らせている。その理由は、現地の共同研究者が、塩と生命について、ある興味深い事実を発見したためである。
塩に寄生する生命
アタカマ砂漠にはほとんど雨が降らない。地球生命にとって液体の水が必要ということから考えれば、アタカマ砂漠は死の世界のはずである。
ところが、実際には、雨が降らないアタカマ砂漠にも微生物はわずかながら生きている。
僕の共同研究者が見つけたのは、アタカマ砂漠では、微生物が塩にこびりついて生きているということである。しかし、なぜ、微生物は塩に寄生するように生きているのだろうか。
それを解く鍵は、潮解という現象にある。潮解とは、塩などの物質が空気中の水蒸気を吸収する現象である。
皆さんは、冷蔵庫に保存しておいた塩が、知らぬ間に固まってしまったという経験をおもちだろうか。塩は空気中の水蒸気を吸湿して、その粒子表面に眼に見えないごく微小な塩水の層を作る。その微小な塩水の層が、塩の粒子同士をくっつける糊のようになり冷蔵庫の塩は固まるのである。
実は、アタカマ砂漠の塩にも同じことが起きている。
砂漠では雨は降らないものの、空気中には水蒸気が含まれている。砂漠では昼間に気温が上がり乾燥するが、夜はぐっと冷える。空気中に含まれる水蒸気量は変わらなくても、気温が下がると空気が含むことができる水蒸気の総量が低下して、結果として相対湿度が上がる。つまり、砂漠では夜の間にちょうど冷蔵庫のなかのように、空気の湿度が上がるのである。
湿度が上がると、塩は大気中の水蒸気を吸収して、潮解、すなわち、その結晶粒子の表面にごく微小な塩水層を作る。雨はまったく降らなくても、液体の水は微量ながら生まれうるのである。
微生物は、驚くべきことにこの潮解という物理現象を利用して、夜間に塩の表面で液体の水を摂取しているのである。
たくましき生命
塩の潮解で生きるアタカマ砂漠の微生物の存在は、多くの示唆に富んでいる。
まず、現在の火星においても、塩の潮解は発生するということがある。乾燥した低温の火星でも、アタカマ砂漠と同じように、大気中には水蒸気が含まれ、ある季節の夜間には潮解が起きうる湿度と温度の条件になる。
実際、火星上では、あらゆるところに塩が存在している。火星探査車キュリオシティは、アタカマ砂漠と同じように、かつての湖の地層の割れ目を埋めるように塩が存在していることを見つけている。
こういった場所では、潮解によって液体の塩水が存在するかもしれず、かつて火星に生命が誕生していれば、塩に寄生する微生物が今日も生き延びていないとも限らない。生命を育むには、必ずしも海のような豊富な液体がなくてもよいのかもしれない。
もう1つの示唆は、生命はいったん誕生すれば、驚くほどたくましく生き抜くということである。
塩に寄生して生きるアタカマ砂漠の微生物が、どのようにして今の生き方にたどり着いたのかは謎である。しかし、おそらく元々は海や湖などに生息していた塩に耐性のある微生物が、風に吹かれて砂漠の塩の地層にたどり着いてしまったのだろう。
これまで無数の微生物たちが、繰り返し過酷なアタカマ砂漠にたどり着いたであろう。そのほとんどが生存できなかったなかで、何とか環境に適応して、生き方を変えることで、生き延びることができた生命がいたに違いない。それが塩に寄生する微生物の祖先だろう。
生きることの本質は変わることであり、変わることで生命は千変万化する環境をたくましく生き抜く。
予測の難しい未来に対して、僕らもたくましく柔軟であらねばなるまい。人類がこれまで構築した現在社会は高度に秩序だったものであり、であるがゆえに柔軟性は乏しい。人類社会がいかにして柔軟性を作りうるかが、今後問われるのではないか。
生命の気配のないアタカマ砂漠を車で走っていると、生命の進化、人類の未来について考えてみたくなる。
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