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We are from Earth. アストロバイオロジーのすゝめ

東京工業大学 地球生命研究所 教授 関根 康人 Yasuhito Sekine東京工業大学 地球生命研究所 教授 関根 康人 Yasuhito Sekine

 Vol.36

妖怪とアストロバイオロジーIII
“ヤマタノオロチと柿本人麻呂”

今年もそろそろこのコラムに雑談をはさみたい。

これまで、妖怪と地球科学やアストロバイオロジーの接点を探そうと、2年前に「天狗」、1年前に「鬼」の起源を考えてきたものの続きが今回である(参照:第26回コラム「鬼はなぜ虎のパンツをはくのか」)。天狗にせよ鬼にせよ、妖怪とは、人智や人力の及ばないものごとを、人格化したり、象徴化したりしたものだといってよい。

日本の神話にも、ユーラシア大陸の東の果てという、この国特有の地理に起因した地球科学現象が濃厚なまでに浸潤している。今回は、日本の神話と地球科学の関係性を考えてみたい。

そう思ったきっかけは、先日、島根県立益田高等学校の求めに応じて、益田を訪れたことによる。

益田高校は、スーパーサイエンスハイスクールに指定された地元の名門である。スーパーサイエンスハイスクール、通称SSHという言葉に耳慣れない方もおられるかもしれない。SSHとは理数系科目に重点を置いた、独自かつ実践的な教育を行う高校を国が支援する制度であり、本稿執筆時、全国で200校を超える高校がその指定を受けている。

益田高校はSSHの一環として、益田未来協働フェスタと銘打った面白いイベントを主催し、小学校から大学、企業まで人を集めて活気ある会を開いている。僕は、そこでの講演を依頼された。

島根を含む山陰は、多くの神話に彩られる。だだ広い関東平野に住む僕などは、山陰と聞くだけで、どこか神秘的な灰銀色のかがやきを感じてしまう。

僕にとって日本の情景とは、京都や奈良の古都のそれではなく、山陰にあるような、茂る緑の起伏なす山々と、それを覆う垂れ込めた八雲、湧き出る岩清水といった、湿度の高い山河にある。

国生みと人麻呂

朝の便で萩・石見空港に到着すると、その出口に石見神楽の勇壮な大蛇(オロチ)の置物が出迎えてくれる。島根はヤマタノオロチ伝承の舞台でもある。

ヤマタノオロチは、8世紀に編纂された「古事記」や「日本書紀」に登場する。ヤマタノオロチはスサノオノミコトにより退治されるが、「日本書紀」によると、スサノオの親がイザナミとイザナギの二神である。二神は日本の島々を混沌のなかから生み出す。いわゆる、国生みである。

石見神楽「大蛇(オロチ)」の様子。スサノオとオロチが対決している。(提供:Pattio CC BY-SA 3.0

「島根は初めてですか」と、空港まで出迎えてくれた益田高校の先生は問われた。僕が「はい」と答えると「島根は東西に長いので、東部と西部では気候も文化もだいぶ違います」と、その方は丁寧に教えてくれた。

東部である出雲はいわゆる日本海側気候であり雪も降る。一方、西部の石見は瀬戸内気候で温暖だという。気候だけでなく、文化的にも、石見は安芸広島の影響を受ける。僕が訪れた益田は石見に属し、オロチを題材に含む石見神楽が根強く残る。人の気質も典型的には、出雲は勤勉、石見は開放的らしい。

「島根の東西の移動は時間がかかります」というその先生は、益田のある西部ではなく東部のご出身だそうである。その方は、萩・石見空港に行ったことがなかったので(西部には出雲空港がある)、僕の為に前日に空港に行く予行練習をしてくれたという。いかにも、勤勉な出雲の気質の方らしい。

空港の駐車場に向かうと、柿本人麻呂の歌碑が目に入ってきた。益田はかの人の没地だという。柿本人麻呂は万葉の歌人であり、彼が生きた時代は、ヤマタノオロチが登場する「古事記」や「日本書紀」が編纂されたのと全く同時代である。

人麻呂の出自や経歴、生涯の多くは謎に包まれている。没地とされる鴨島は、益田の沖にあったとされる島だというが、今はない。太古の地震で島が海に没したという伝承が残り、その島自体が言い伝えに過ぎないという見方もある。人麻呂のミステリアスな側面は、その最期の地が神話的なエピソードによって失われているという点においても、また引き立てられている。

日本誕生

島が生まれたり、島を引いたり、あるいは島が海に没したり、という日本の神話伝承は、この国が、地球科学的な意味において、いかに活発な地域にあるかを如実に示す。

そもそも、僕らが日本と呼ぶこの土地は、大昔ユーラシア大陸東の果てのイザナギプレートと呼ばれる岩盤の上に乗っていた。それがあるとき、大陸を方々から押し引きする力の均衡が崩れ、巨大な“おしくらまんじゅう”のバランスが崩れて端の人が飛び出すように、大陸東端の岩盤が割れて、西南日本と東北日本がそれぞれ大陸から裂けるように離れた。離れたとはいっても、西南日本の大半は大陸と地続き、東北日本にいたっては大きな島々が点在していたにすぎない。

その後、西南日本は南からプレートに押され、同様に東北日本は東から別のプレートに押される。結果、ふとんを横から押してたわませるように、両日本に山脈がうまれる。ここに雨が降り、山が削られ、大量の土砂が海に流れ出す。やがて、西南日本と東北日本の間がこの土砂で埋まることで本州が形成し、現在の日本列島になっていく。

複数のプレートが一か所にこれだけ集まっているのは、地球上でも日本の他にほとんどなく、それが引き起こす火山や地震の数も世界有数である。当然、火山や地震は、古代日本人のなかで自然に人格化されてきたのであろう。

スサノオは火山の象徴か

明治から昭和前期の地球物理学者である寺田寅彦は、ヤマタノオロチを退治したスサノオに関する記述には、火山に因むものが多数みられると、随筆「神話と地球物理学」で指摘している。

日本神話のクライマックスの1つは、スサノオが大暴れにあばれる場面である。その記述である「天(あめ)にまい上ります時に、山川ことごとに動とよみ、国土(くにつち)皆震ゆりき」は、噴火と火山性地震のようであり、また「営田(みつくだ)の畔離ち溝埋め、また大嘗(おおにえ)きこしめす殿に屎(くそ)まり散らしき」も火山灰が田や御殿を埋めたようだと、寅彦はいう。

このスサノオの狼藉を恐れたアマテラスは天の岩戸に隠れ、世界は闇に包まれる。これも日食というのが定説だが、“日蝕のごとき短時間の暗黒状態としては、ここに引用した以外のいろいろな記事が調和しない”と論破し、噴煙が長期にわたって日光を遮蔽したのだと異論を展開する。

寅彦とほぼ同時期、ロシア人の革命家であったワノフスキーも、日本亡命時の古事記研究を通じて同様の説を唱え、火山こそが日本神話の通奏低音であると述べている。

線状降雨帯とヤマタノオロチ

さて、益田未来協働フェスタでの、僕の講演は中盤に差し掛かっていた。

会場は、僕が生涯で講演した中でも、最もすばらしいホールであった。同会場では高校生も発表していたが、そのような舞台に立てる学生たちの幸運に少なからず嫉妬したほどであった。

益田未来協働フェスタでの講演の様子。演台に立つのが僕である。(提供:益田高等高校)

僕はエウロパの説明をし、熱水噴出孔の話にかかろうとした時、轟音が会場に響いた。

雷である。防音設備の整った会場に響くということは、かなり大きなものがすぐ近くに落ちたに相違ない。この日は、線状降雨帯が島根県東部を襲い、深刻な水害が予想されていた。益田でも外は激しい雨であった。

そのとき、ふと、空港で朝見たヤマタノオロチが頭をよぎった。オロチとは、水の神、洪水の化身ではなかったか。

稲光、轟音は龍を彷彿とさせる。僕の生まれた浅草の浅草寺の正式名は金龍山浅草寺である。三社祭の間に雷雨になると金龍が喜び、その年は豊作など良い年になると子供の時に聞かされた。

線状降雨帯とは、最近よく聞く言葉である。これが発生すると、雨を降らせる積乱雲が連続して生まれて集中豪雨となる。この線状降雨帯の発生も、日本のおかれた地理に起因している。

フィリピン沖など西太平洋の暖かい海では、大量の水蒸気が海から蒸発する。これが“大気の川”にも例えられる大気大循環に乗って、日本、特に西日本に吹きつける。上で述べたように、日本にはプレートの力で山脈がある。この湿度の高い空気が山脈などの影響で、一気に雲となり雨となる。いわば、西太平洋広域の水蒸気を、雨として日本が一手に引き受けているのである。このようにして、僕の思うところの “湿度の高い山河”という日本の情景ができあがる。

近年、これによる洪水が多発するのは、温暖化のため、海からの水蒸気の蒸発量が増えているためである。水の受け手である日本に洪水が起きないわけがない。

エルサとモアナ

ヤマタノオロチを洪水の化身とする従来の説の一方で、寺田寅彦は、「神話と地球物理学」のなかで、オロチにも火山の溶岩流の要素があるといっている。たとえば、「その腹をみれば、ことごとに常に血爛ただれたりとまおす」というオロチの描写は、溶岩流の割れ目からマグマが見え隠れしていると捉えられなくもない。事実、島根県の中央にある三瓶山は、縄文時代に何度も大噴火しており、これが縄文人にとって畏怖の対象であったであろうことに疑いをはさみにくい。

現実的には、洪水と溶岩流の恐怖が、日本人の脳内で混じり合い、新しいイメージとして結晶化したのがヤマタノオロチではあるまいか。

このように、神話伝承には地球科学的現象が印銘されている。

ディズニー映画「アナと雪の女王」の世界も、北欧神話にインスピレーションを得ている。北欧神話の氷の世界ニヴルヘイムなど、女王エルサが国を凍らせてしまったことと重なる。映画「モアナと伝説の海」にも、ハワイ神話が濃厚に描かれている。人格化した溶岩流が物語に登場するが、これもその1つであろう。ジブリ映画に登場する日本の神々についても言うまでもない。

割れ目噴火による溶岩の噴出。アイスランド、バルダルブンガ火山。ヤマタノオロチをおもわせる溶岩流が見える。(提供:peterhartree CC BY-SA 3.0

日本に住む僕らには氷の女王のイメージは到底思いつかず、また逆に北欧において、国生みやヤマタノオロチは生まれないだろう。

僕らは、知らずの内に、世界中の地球科学現象と人間のもつ想像力との結晶を、エンターテインメントとして享受できる時代に生きている。

鴨島の謎

さて最後に、柿本人麻呂の終焉の地とされる鴨島について触れたい。鴨島のことが気になり、帰京後、調べてみたのである。

鴨島は本当に実在したのだろうか—20世紀後半になり、2度の大規模な学術調査が行われた。1977年の調査では、益田沖の海底が調べられ、岩礁の上に波打ち際でできる穴の開いた岩が見つかった。今は海底の岩礁が、かつて確かに海上にあったらしい。この調査を率いたのは、哲学京都学派の異才・梅原猛であった。

1993年には、別の大規模調査により、益田川の上流に津波によってもたらされた地層があることがわかった。その地層の年代は万寿地震の発生年と重なる。万寿地震とは、1026年(万寿3年)に起きた石見地域一帯を襲った大地震である。鴨島が消失した前提である地震とそれによる津波が、確かに存在したことが示された。

調べると、この1993年の調査団長だったのが、僕の師である松井孝典先生であった。これには驚いた。

確かに僕が学生のころ、先生の教授室に“柿本人麻呂と鴨島”というポスターが掛けてあり、一体何のことかと思った(思っただけで尋ねなかったが)記憶などが想起された。

思えば「神話と地球物理学」を書いた寺田寅彦は、松井孝典先生の師の師の、そのまた師にあたる。日本人の源流というだけでなく、僕の研究者の源流としても、僕が益田に招かれ過ごしたことに何やら意味を感じる。

狩野探幽作、「三十六歌仙額」に描かれた柿本人麻呂。

1つ、上のような昭和・平成の大調査が行われたが、梅原調査団の見つけた岩礁と、松井調査団の見つけた万寿地震との関係性、すなわち岩礁が地震に伴って海中に沈んだのかという問題は決着していない。この同時性が明らかになれば、鴨島伝承が事実である強い証拠となる。

海に沈む岩礁の岩石を採取し、現代の技術をもって調べれば、これに決着できるかもしれないがどうであろう。あとは、これにロマンを感じた“令和の鴨島調査団”のスポンサーが現れてくれるか次第であろうか。

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