「世界が欲しがる」すばる望遠鏡。高まる期待と厳しい現実
1999年に観測を開始し約20年。すばる望遠鏡は人類の宇宙の理解を劇的に広げ、驚くべき観測を続けている。例えば世界で最も広く詳しい「暗黒物質の三次元マップ」作り(参照:星空の散歩道 Vol.129「すばる望遠鏡、暗黒物質の分布に迫る」)。2014年から約2年間で2000万個以上の銀河を観測し、従来の70倍の広さの暗黒物質地図を作成した。まだ計画の1割強のデータに過ぎないが、すでに宇宙膨張について従来の宇宙モデルでは説明できない可能性が出てきた。これは面白い!さらに広範囲の観測が進行中だ。
「暗黒物質?そんなの私たちに関係ない」と思うかもしれない。しかし、村山斉東京大学カプリIPMU機構長曰く「暗黒物質は『私たちのお母さん』なんですよ」。え、お母さん?!「宇宙初期、暗黒物質があったからこそ重力で物が集まり、やがて星や銀河ができた」というのがその理由。つまり暗黒物質がなかったら、星も人間も生まれなかったというわけ。だが宇宙の約四分の一を占めるにも関わらず、暗黒物質の正体は未だ不明であり、「生き別れのお母さん」状態なのだそう。その正体が気になりますよね。まず暗黒物質はどこに、どのくらい分布するのかを知る必要があり、暗黒物質地図作りが重要になる。さらに地図から宇宙の運命が見えてくる。つまり宇宙や私たちの過去と未来を探る地図作りで断トツの威力を発揮するのが、すばる望遠鏡なのだ。
観測の主役は、すばる望遠鏡の巨大デジタルカメラ=HSC(ハイパー・シュプリーム・カム)。空の広い範囲を見渡しつつ、遠くの天体まで観測できる。つまり、「広く」「深く」観測できるのが特徴。実はこの二つを両立させるのは難しい。例えばハッブル宇宙望遠鏡は深く見るのは得意だが、非常に狭い範囲しか観測できない。大型望遠鏡で広く、深く見えるのは世界で今、すばる望遠鏡だけ。だから「すばるは世界が欲しがる望遠鏡」と村山機構長は絶賛する。
HSCは国立天文台の天文学者・宮崎聡さんがリーダーとなって10年がかりで開発した観測装置だ。だが宮崎さんらが世界最高性能を思いっきり追求できたのは、デイクルーら現場のスペシャリストの存在があったからである。望遠鏡のてっぺんに全長3m、重さ3トンもある大型装置を取り付ければ、その重さで望遠鏡の姿勢は不安定になる。つまり常識破り。「(すばる望遠鏡の)現場が『いいよ』と受け入れて、ギリギリの取り付け場所やギリギリの作業手順を考えてくれたおかげで、世界一のデジカメが実現できた。彼らの技術+工夫+慎重さ+チームワークがなければ、HSCを望遠鏡に載せることも外すこともできません」と宮崎さんは感謝する。
どのくらい大変なのか、実は2016年2月、すばる望遠鏡を取材した際に、HSC取り付け作業を間近で見る機会に恵まれた。
驚きの現場—許される隙間はわずか±1.5センチ。ぶつけたら割れる!
すばる望遠鏡の下に立つと、その大きさにまず圧倒される。高さ約22.2m(7階建てのビルに相当)、最大幅27.2m、動く部分の重さ555トン。てっぺん付近に目を凝らすと、黄色いゴンドラがあり、人が作業しているのがかすかに見えた。
望遠鏡の外部エレベーターで5階「トップユニット」階にあがる。エレベーターを降りると、ゴンドラに乗ってHSCの取り付け作業を行うデイクルーたち(昼間作業するテクニシャンをこう呼ぶ)がいた!集中を要する作業とのことで、少し離れた場所から静かに作業の様子を見学させて頂く。
ここは標高4200mのマウナケア山山頂。空気は平地の60%ほどしかなく、ドーム内は望遠鏡の性能維持のために摂氏約ゼロ度に保たれている。私は防寒着と酸素ボンベを借り、万全の態勢で取材していたのだが、デイクルーの皆さんは酸素ボンベもつけず、手際よく作業を行っていく。しかしその背中には、命綱が。作業する場所は床からの高さ約22m。見下ろすとその高さにくらっとする。
デイクルーたちは、巨大デジカメHSCの配線作業中だった。主焦点に設置されたHSCを二人のデイクルーが囲み、一人がチェックリストの数字を読み上げ、もう一人が復唱しながらデータ送信用光ファイバーや水の配管など約30本のケーブルをつないでいく。間違えると故障のもとになるので確実に。二人の声が響きわたり、あたりにはピーンと張り詰めた空気が漂う。
神経を使う作業はこの前段階にもある。それはHSCを望遠鏡のてっぺんに運ぶ段階だ。専用のアームを使って、装置が納められている部屋からHSCを取り出し、望遠鏡の柱や様々な構造物にぶつからないように、慎重に運んでいく。
HSCを、望遠鏡側のてっぺんにある枠(筒頂内管)におろす段階で、緊張は頂点に達する。HSCと内環の間に許されるクリアランス(隙間)はわずか±15mmしかないのだ!しかも、HSCのレンズ鏡筒はセラミックス製。ぶつけると割れてしまう。
ゴンドラに乗って作業にあたるデイクルーは、「少し重心移動しただけでも、ゴンドラが揺れてしまう。振動の衝撃でレンズ鏡筒が内管に当たると割れるので、たとえ窮屈な姿勢になっても下手に動けないんです」と話してくれた。3トンもの構造物はいったん揺れ始めるとなかなか止まらない。もちろん超音波センサーでレンズ鏡筒と内管の距離を計測し、間隔が狭まるとアラームが鳴る設定になっている。しかし値がずれることもある。人の目と機械の目の両方で確認し、レンズを傷つけないよう細心の注意を払って作業は進められる。
HSCは世界最高性能デジカメであり、世界中の天文学者からの観測要望が殺到する人気の装置。取材時は、約2週間に1回の割合で取り付け作業が発生すると聞いた。この緊張を要する作業が2週間おきに発生するとは、現場は大変である。同クラスの大型望遠鏡と比べると、ジェミニ望遠鏡は焦点が一つしかなく複数の観測装置がつけられたままだし、ケック望遠鏡は望遠鏡を倒して交換作業を行うそう。
一方、すばる望遠鏡では装置交換にクレーンを使い、命綱をつけたクルーが高所作業をする。「すばる望遠鏡は高性能な望遠鏡であるとともに、世界一難しい望遠鏡でもある」とハワイ観測所エンジニアリング部門長(取材当時)の沖田博文さんは話してくれた。現場のデイクルーたちは舞台裏的存在であり、なかなか表には出てこない。だが天文学者も運用の現場も、ともに世界一にチャレンジすることで、世界最先端の成果をあげ続けているのだ。
世界中から高まるすばる望遠鏡への期待と厳しい予算
「世界が欲しがる望遠鏡」であるすばる望遠鏡は今、厳しい現実に直面している。それは予算。10年前に比べ、すばる望遠鏡の運営費に国から割り当てられた予算が約半分に減っているのだ。ここ数年は国立天文台の他のプロジェクトからすばる望遠鏡運用費の不足分を賄っている状態だという。背景には基礎科学予算の削減、多くの大学の運営費が減り窮地に陥っている現状があり、国立天文台も大きな影響を受けている。
すばる望遠鏡は50年使えるように設計されている。しかし、観測開始から20年近く経った今、望遠鏡やドームなどの経年劣化はさけられない。メンテナンスや修理にお金や人材がますます必要なのに、予算不足により抜本的な対策をとるのが難しく、必要なメンテナンスの一部を先送りせざるを得ない状況だという。
ハワイ観測所の広報担当者によると「このような状況が続けば、望遠鏡の主要機能が故障によって失われる危険性が高まる」という。そうなれば日本だけでなく、人類全体にとって大きな損失だ。もちろん、ハワイ観測所ではコスト削減のための内製化など技術的検討を進めつつ、コスト圧縮や資金獲得のための国際パートナー探しも進めている。
一方、今後の観測計画に目を向ければ、すばる望遠鏡は世界最先端の望遠鏡として、ますます大きな役割が期待されている。私たちの「お母さん」である暗黒物質の地図作りは2020年まで続く予定。さらに新しい観測装置の搭載も計画されている。たとえば国際協力で開発が進められている超広視野分光器PFS。1度に2400個もの銀河を同時に分光できるという。カメラで天体を撮影しただけでは、天体までの距離や天体の組成はわからない。分光器で調べることで初めてその天体の詳細がわかる。その意味でデジカメHSC+分光器PFSは「世界最強の組み合わせ」となる。
また、2020年代の完成を目指す30m望遠鏡TMTはすばる望遠鏡との連携プレーがあってこそ、その威力を効率的に発揮できる。TMTは口径30mもの巨大な鏡による集光力が売りだ。しかし弱点は視野が狭いこと(すばる望遠鏡の20分の一)。そこで、まずすばる望遠鏡の広い視野を生かして候補天体を探し出し、TMTで分光することで距離を測るという連携によって「最も遠い銀河の発見!」につながる。TMTだけではない。欧米で今後打ち上げられる天文衛星もすばる望遠鏡の地上観測がどうしても必要だ、と協力・参加をよびかけてきているという。
すばる望遠鏡の果たす役割は今後ますます重要になっていく。そうした国際的なニーズをふまえ、村山機構長は「すばるは永遠に!」と呼びかける。
まず、すばる望遠鏡が世界に誇る素晴らしい性能を持っていること、その性能が現場のたゆまぬ努力で実現されている事実や直面する現実を知って欲しい。今後も人類の宇宙の理解を深め、広げるために大きな貢献を果たすだろう。すばる望遠鏡ができるだけ長く現役で活躍できるように、ぜひ応援していきたい。
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